ロックバンドGLAYのTERUさん。画家としての活動も増やしている©Loversoul co.,ltd.

 ロックバンド「GLAY」のボーカリストTERUさんが、台北で2月2日に始まった台北ランタンフェスティバルに展示されているランタンの原画作成に初めて臨んだ。2024年にGLAYがデビュー30周年を迎えた中、TERUが画家としての活動に力を入れるようになっているのはなぜなのか。台北で話を聞いた。

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 ――ランタンのために描いた原画には、どんな厳しい冬を過ごしても夏には実をつけるリンゴの木のたくましさを表現したと伺いました。なぜその題材を選んだのでしょうか?

 元々のテーマは僕が18歳まで生まれ育った(北海道の)函館だったんです、台湾の人にも函館を感じて欲しいと思っていたので。雪の結晶から描き始めていたんですが、そのうち子どものころ、(青森県の)弘前で暮らしていたおばあちゃんとリンゴを採って食べた記憶が思い浮かびました。台湾の人たちの優しい感じがおばあちゃんの記憶とリンクしたんでしょうね。描き終えた後、台湾と日本の未来に実りのあるタイトルにしたいと思って『実りを待つ木』と名付けました。

自らが描いたランタンの原画の前に立つGLAYのTERUさん=2025年2月3日、台北、高田正幸撮影

ライブでは台湾の歌を

 ――これまで、台湾とはどのような関わりがあったのですか?

 ライブやプロモーションで、もう10回以上来ていますね。2001年の「GLAY EXPO」で(台湾の人気ロックバンドの)メイデイ(五月天)と共演した時、音楽の話が盛り上がって、「台湾でもやってよ」と言われたのが最初でしょうか。

 台湾のファンは日本語をすごく理解してくれる人が多いです。バンドへの思いだったり、歴史だったりもきちんと勉強してくれている。逆に僕らもライブの時に台湾語で台湾の歌を歌っています。日台交流じゃないですけど、台湾に寄り添って台湾の言葉でメッセージを伝えることもしたいと思っています。

 ――今回は画家としての訪台となります。最近は画家としての活動も増えていますね

 8年くらい前ですかね、(イタリアの)ベネチアを訪問したことがきっかけで油絵を勉強したいと思うようになって、音楽をやりつつデッサンも続けていました。本格的に描き始めたのは51歳の誕生日で、コロナ禍の真っ最中だったころです。

 その頃、友人の建築家の長谷川匠君が建築をやりながらアートもやっているのをみて、そのバランスがすごくいいなあと思ったんですよね。建築でたまったフラストレーションを絵画で発散している感じがして。

 僕もコロナ禍でフラストレーションを感じている頃でした。ライブのスケジュールを組んで会場を押さえても、中止になって、計画を全部ばらしたりして。そういうことが2年くらい続きました。もうちょっと(ファンと)コミュニケーションをとりたい、だけどできない。そういう気持ちを絵に転換して、SNSで公開して、反応をもらう。そこでの反応が自分にとっての癒やしになっていったんですよね。

蔣万安・台北市長(右から3人目)にランタンのデザインについて説明するGLAYのTERUさん(同2人目)=2025年2月3日、台北、高田正幸撮影

青以外使わない理由

 ――音楽と絵画では表現した…

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