写真・図版
自身で作曲したミュージカルオペラ「A Way from Surrender~降福からの道~」を指揮する井上道義=2023年 ©K.Miura

 今月末、指揮者の井上道義が引退する。この1年間でオペラ「ラ・ボエーム」(7都市8公演)を含め、18楽団と計41公演を振り抜いた。最後の舞台を30日、サントリー音楽賞受賞の記念公演となる読売日本交響楽団との共演で迎える。

公演のラストを飾るショスタコービチへの思い

 メンデルスゾーンにはじまり、ベートーベン、シベリウス、ショスタコービチと続くプログラムは、それ自体がこれまで共に歩んでくれたオーケストラや聴衆へのメッセージだという。公演の8日前に話を聞くと、モーツァルトやショスタコービチや三善晃ら、自身の音楽人生の支えとなったさまざまな人々、音楽への思いがこぼれだした。

 ――10年前のがん闘病以来、様々な病との闘いが続いています。8月には公演の降板もありました。今の体調は?

 リハーサルは問題ない。ただ、あまりたくさんしゃべれない。のどがつらくて。少ししゃべって、演奏して、終わったらぐったり。満身創痍(そうい)です。引退を決めておいて、正解だったのかもしれません。

 ――この1年、いろんなショスタコービチを聴かせていただきました。「ショスタコービチは僕自身だ」という発言はキャッチフレーズにも。30日の公演の締めくくりも、ショスタコービチの「祝典序曲」です。

 僕のショスタコービチは、日本の社会と僕自身の相克から生まれてきたものです。

 40歳くらいの頃、クラシック界とそれをまとめている人たちの常識とのズレに直面し、正義というものをふりかざしてくる社会に押しつぶされるような感覚になった。僕は、おべっかが使えない。年上の人たちの仕事をリスペクトしないから、よくケンカする。超ナマイキ。

 なぜそうなっちゃうのかな。僕は間違った人間なんじゃないか。苦しかった。鬱々(うつうつ)としていた。そんな時にショスタコービチの伝記を読んだり、楽譜を見たりして、ああ、僕に似てると勝手に思ったの。勝手に、ですよ。僕はいつもそうやって、勝手にこっち側から思ってるだけなんです。相手はみんな、もう死んでますから。

 一番最初の「クラスメート」はモーツァルトさんだった。もうちょっと後になると、異端児マーラーを僕自身に投影した。そして、最後にショスタコービチに至り、「僕はショスタコービチだ」なんて言い切っちゃった。バカなんです。そういう風に思い込んでやってきただけなんです。

恩師・三善晃さんが教えてくれたこと

 でも、そういう思い込みって僕、演奏には非常に必要な態度だと思っているんです。どんな作曲家の曲だって、僕自身が初演をするんだっていう気持ちでやってきた。ベートーベンやブラームスたちに生き返ってもらって、友達、恋人、同志、もしくはその人そのものになって楽譜に向かうと、いろんなことが実によくわかるんですよ。クラリネットという楽器を知ったモーツァルトが、喜び勇んで新しい響きを模索してる時の心のうごきとか。

 僕、18歳くらいの時だったと思うんですけど、大学の先生だった三善晃さんに、こんなことを尋ねたことがあるんです。「先生、なぜ世の中ではベートーベンの第5番が名曲って決まってるんですか。誰が決めたんですか。好き嫌いじゃなくて、ちゃんと理論的に知りたいんです」。そしたら「わかった、明日教えるから」。

 翌日、ちゃんと答えを紙に書いてきてくれた。僕ひとりのために。

 四つ、石ころがあります。一…

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