ミャンマーの小学校を訪問し、小学生らと交流する遺族会の参加者たち=2005年12月、日本遺族会提供

 戦争で親を亡くした人たちが海外の激戦地を訪ねて慰霊し、現地の住民と交流する「慰霊友好親善事業」が、戦後80年となる2025年度で終了することになった。遺児の高齢化で参加者が減少し、事業継続が難しくなったためだ。

 事業は日本遺族会(東京都千代田区)が主催し、1991年度から始まった。戦没地で父親らを弔うとともに、被害を受けた現地の人々と交流したいという遺児の希望を実現するためだった。

 国の補助を受け、遺児の負担は訪問地にかかわらず10万円。これまでに431回、計1万6149人を派遣し、23年度までに訪ねた国・地域は中国やフィリピンなど19におよぶ。グアムなどを船で回る「洋上慰霊」も2回行った。

 現地では、学校や病院に物品を贈るなどの交流を行い、ミャンマーでは、学校訪問をきっかけに遺族会が寄付を募り、三つの小学校の建設に結びついた。

 しかし、近年は遺児の平均年齢が80歳を超え、参加者は05年度の911人をピークに減少。昨年度は248人だった。

 最後となる25年度は、フィリピン訪問のほか、洋上慰霊を検討している。一方、終了後も遺族の子孫らが現地の人と交流する事業は続ける方針という。

 アジア・太平洋戦争で、日本の軍人・軍属らは約210万人が亡くなった。アジア各国の正確な犠牲者数は不明だが、今も地元の反発から、事業での訪問が実現していない地域もある。

 日本遺族会の水落敏栄会長は、「現地を訪れて初めて『お父さん』と言える人もいた。友好親善事業で地元の子どもに喜んでもらえることもあった。戦争で現地の人に迷惑をかけたことは事実であり、事業の形が小さくなっても、次世代との友好親善は重ねたい」話す。

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