刀傷が残る成人男性(推定20~30代)の頭骨=2025年2月8日、愛知県豊橋市松葉町2丁目、戸村登撮影

 100体以上の人骨が埋葬されていた、愛知県豊橋市牟呂市場町の中世の古墓群に、刀による傷を負った幼児の人骨が含まれていたことがわかった。この幼児の骨には、刀傷を負った後の治癒しつつある痕跡もあり、しばらく生存していたとみられるという。

 明治大学の谷畑美帆・黒耀石研究センター研究員らによる科学研究費助成事業「墓と被葬者から考察する中世社会」の研究者チームの調査で判明した。刀傷を負った推定4歳とみられる幼児の骨は、銭貨などの副葬品から、15、16世紀の戦国時代の中世に埋葬されたとみられる。

 この骨が埋葬されていたのは、三河湾沿岸部で渥美半島の付け根付近にあたり、かつては波打ち際に臨んでいた市杵嶋(いちきしま)神社古墓群(豊橋市牟呂市場町)。縄文時代晩期の貝塚の上に、古墳時代に前方後方墳が築かれ、さらにその上に中世の古墓群が設けられたとみられる。神社に隣接する土地の区画整理のため、市教育委員会が1985年に行った発掘調査で、93基の土坑墓群と100体以上の人骨が見つかっている。

 豊橋市教委などのこれまでの調査で、この古墓群からは、頭蓋骨(とうがいこつ)に刀傷がある成人男性の人骨が見つかっているが、幼児の頭蓋骨に刀傷があるとわかったのは、今回が初めて。今月にあった市内で開かれた公開シンポジウムで初めて報告された。

 研究に参加し、幼児の刀傷を確認した東京都立大の皆川真莉母(まりも)・統合生物考古学研究室特任助教によると、幼児の傷は成人男性の傷と同様、上から下にかけて斜めに走り、骨に達し、その断面が平坦(へいたん)であることから刀傷と判断したという。

故意に斬られた可能性、その理由は?

 幼児の骨には治癒しつつある…

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