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「自分自身を責めても、何も元気になることはない」と話す坂本則子さん=2024年9月13日午後4時15分、京都府宇治市、北川学撮影
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 「わが子を学校に行かせることもできないダメな母親」という自己否定の嵐の中で、教師としての自負や自信は、木っ端みじんに打ち砕かれてしまいました――。

 元中学教諭の坂本則子さん(68)=京都府宇治市広野町=は、不登校問題の催しで自らの体験を赤裸々に語っている。

 1994年9月2日。小学3年の息子はテーブルの脚をつかみ、「ぼく、もう学校やめる」と言って学校に行けなくなった。

 こだわりが強く、突然の予定変更は苦手だったが、明るくて元気な子だった。行けなくなった理由はよく分からない。

 「学校にも行けないぼくは、死んだ方がましや」。息子は自分を責め、頭を壁に打ち付けて暴れた。「目に見えないバイ菌がいる」と言っては何度も手を洗った。

 数年すると落ち着いてきたが、今度は、中学3年の娘がひきこもるようになった。卒業まで1カ月の時期だった。「感受性が強くがんばり屋だったが、娘の中で何かが切れたのかも知れない」

硬い髪の毛「お母さんにそっくり。それが許せへんねん」

 合格していた高校は1日も通…

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