モラハラ夫から逃げ出して…主人公が自分を取り戻すまでの物語

 「モラハラ」夫との生活から逃げ出した女性が、ひと組のカップルとの出会いと、得意な料理を通じて自らを取り戻していく――。作家・大木亜希子さんの小説「マイ・ディア・キッチン」(文芸春秋)が12日に発売される。首都・東京に暮らす、様々な「生きづらさ」を少しずつ抱えた人たちの物語だ。この作品は「普通の小説」にはない異色の仕掛けがある。

大木亜希子さん=東京都千代田区、門間新弥撮影

 おおき・あきこ 15歳で俳優としてデビューし、20歳でアイドルグループ「SDN48」に加入して活動。グループ解散後、WEBメディアでの勤務を経て作家として独立。著作に「アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア」(宝島社)、「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」(祥伝社)、「シナプス」(講談社)など。最新作「マイ・ディア・キッチン」(文芸春秋)は2月12日に発売。

 主人公の白石葉(よう)は、交友関係や食事、体形まで管理・干渉してくる夫との生活に耐えかねて、ある事件を機に家を飛び出す。たどり着いたのは小さなレストラン。オーナーの天堂と従業員の那津は男性同士のカップルだ。葉は店に迎えられ、元料理人の腕を生かして2人の手伝いを始める。

 著者の大木さんは10~20代にかけて俳優やアイドルとして活動したあと、作家に転身。2019年の私小説「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」は穐山茉由さんが監督して映画化もされた。

映画化された大木亜希子さんの私小説「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」の1盤面。主人公の元アイドル・安希子(深川麻衣さん)は、会社員として幸せで順調なセカンドキャリアを歩んでいるつもりだったが…… ©2023映画「人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした」製作委員会

 今回の小説も「主人公の葉に私自身の経験や思いが反映されています」と大木さんはいう。

 「人に見られる仕事」という重圧のもと、厳しい体重管理が求められ、自由も制約された芸能人時代。その頃の感情や思考が、葉の人物造形にも生きているという。

 「とにかく太らないように毎日、ブロッコリーの塩ゆでばかり食べていました。当時は栄養知識も乏しかったし、夢を追うのだから色んなことを犠牲にして当然だと自分を押さえつけていました」

「料理」が物語の重要なアクセントに 読者のおなかも鳴る?

 抑圧からの解放。多様な生き方との出会い。周囲との摩擦と衝突。そして、自分の居場所を見つけ出すプロセス――。

 大木さん自身の経験とも重なり合う物語の進行で重要な折り目となっているのが、ところどころで登場する「料理」だ。

 例えば、小説の序盤。夫のもとから体ひとつで脱出し、極度の空腹と心細さを抱えた葉の前に「特別なチーズ牛丼」が差し出される。執筆していた大木さんも「思わずおなかが鳴った」と振り返る印象的なシーンだ。

「読んで、つくって、食べられる」 心もおなかも喜ぶ1冊

 読者は、小説に出てくる全ての料理を視覚的にイメージでき、材料さえ用意すれば正確に再現することもできる。人気料理家・今井真実さんが監修したレシピが完成品の写真付きで収録されているためだ。「読んで、つくって、食べられる」ユニークな1冊となっている。

 大木さんはアイドルをやめたあとの一時期、会社勤めもしていた。だが、仕事も私生活も思うようにいかず、そんな頃に偶然見かけた沖縄料理店へふらりと入った。そこで食べたソーキそばの、淡泊だが奥深い味わいに驚き、思わず「何か特別なものが入っていますか」と店主に尋ねたという。

 「お客さんが元気になればいいなって気持ちが入っています」。大木さんはその店主の返事が耳に残った。今、作家として創作に向き合う心構えにもなっているという。

 小説の中で、葉が感情をぶちまけるシーンがある。「私さ、心が空っぽなの。これからはもっと自分のために生きたい」

 大木さんはそんな思いを抱えている人たちにこそ、この小説を届けたいと考える。「読んだ人の心の栄養にも体の栄養にもなる。そんな1冊になれたら幸せです」

     ◇

主人公・葉に込めた思い 作者・大木亜希子さんインタビュー

大木亜希子さん=東京都千代田区、門間新弥撮影

 「マイ・ディア・キッチン」作者の大木亜希子さんへのインタビュー一問一答です。

 ――「料理」を軸にした小説とした狙いを教えてください。

 中学生の頃に父が亡くなり、私を含む4人の姉妹を一人で育ててくれたのは母でした。母は料理が得意で、そのおいしいご飯を食べたらいつも元気になれたんです。

 私も自然と料理をすることが好きになり、ときどき何かをつくってあげると、母がすごく喜んでくれて。「料理=人を笑顔にできること」という認識が心に刻み込まれました。

 芸能活動をしていたころ、料理のスキルと知識を磨こうと思って、栄養士の資格をとれる大学を受験したこともあるんです。芸能活動との両立が難しくて、入学は実現せず、別の大学に行くことになりましたが……。でも、「食」をテーマにした作品はいつか書きたいと願ってきたことなんです。

 ――主人公・葉が逃げ込んだ先は、男性同士のカップルである天堂と那津が働くレストランですが、天堂は占い、那津はメイクレッスンと「本業」以外でもお客に人気ですね。

 はい。ですので、レストランに通ってくるお客さんたちは料理目当ての人もいれば、占ってほしい人もいるし、メイクレッスンを受けたい人たちもいて、にぎやかで客足が途絶えることがありません。葉は、天堂や那津のアシスタント兼料理人としてお客さんをさばく中で、店にやってくる人たちがそれぞれ心の中に抱えている迷いや「生きづらさ」に気づき、心を寄せるようになります。

全てを管理する「モラハラ夫」…リアルに描けた主人公の心情

 ――主人公にモデルはいるのですか。

 主人公の白石葉には、私自身の経験や思いも反映されています。夫の英治によるモラル・ハラスメント(精神的な暴力)により、体重や体形を厳しく管理され、好きなものも食べさせてもらえない葉。私自身、芸能人時代には特に「食」に関して極度に禁欲的な生活を続けていたので、葉の心情は想像しやすかったというか、リアルに描けたと感じています。

 食は基本的な欲求であるとともに、人間の「尊厳」の根幹でもあります。そこで気持ちを無理に抑え込み続けたり、尊厳を踏みにじられ続けたりすると、いつか大きな反動がきて爆発してしまうと思います。

 私自身も10代の頃に極端な食事制限をしていたので、反動で20代半ばは過食気味になってしまって……。慣れない会社員の仕事でストレスを感じるたびにカマンベールチーズをひと箱丸ごと食べて罪悪感を感じたり、深夜にカップラーメンを食べて翌朝に後悔したりと、これまで様々なことがありました。

主人公に救いの手…レストランオーナーのモデルは?

大木亜希子さん=東京都千代田区、門間新弥撮影

 ――ほかの登場人物にもモデルが?

 レストランのオーナーであり、占いもする天堂には、私の母の姿も一部重ねているところがあります。

 父が亡くなった後、何か仕事をしなくてはと、母が仕事の一つとして占師も開業して。もともと、四柱推命とタロットカードが趣味だったこともあり、仕事にしようと考えたみたいです。実際に開業すると、それがまた結構繁盛して。

 値段も良心的な設定にして、よくない恋愛で迷える女の子には時に厳しく相談に乗ってあげていました。私が女優として活動していたこともあり、他の人に恋愛を口外できない人気女優の友達が母を頼って恋愛相談にくることもありましたが、母自身は芸能界に疎いのでミーハーになることもなく、普通のお客さまと同じように淡々と占ってあげていました。

 他人の運命や人生を変えよう、変えられるなんて力みはありません。天堂が占いに向き合う姿勢も、こうした母の姿から着想を得たところがあります。

 みんな、心の内側では「どうすべきか」「どうしたらいいか」を分かっていることが多いのかも知れません。でも、第三者にそれを言ってもらうことでやっと安心できるというか、納得できるようになる人が多いのかなあ、と。母は占いという形をとって、誰かの心の中にあるモヤモヤを言語化してあげていたのかもなあ、と今は感じます。

 一見華やかな東京の暮らし。みんなが見えを張り合う世の中。でも、「占い」の場では、人は本音をさらけ出せる。だからこそ小説の中で、登場人物たちの弱みも奥行きも浮き彫りにすることができたと感じています。

誰もが抱える「満たされなさ」 不完全だからこそ人は寄り添える

 ――そうしたお客さんの中でも、経済的に豊かなパートナーと結婚しながら、複数の交際相手をもつなど自由奔放に生きる「麻子」さんという人物は強烈な印象でした。

 麻子にも、人物造形のヒントとなった知り合いの女性がいます。「セレブ妻」である麻子と同じような境遇で、瀟洒(しょうしゃ)な暮らしをしていて、子育ても頑張っていて。尊敬する知人の一人なのですが、あるときぼそりと「創作をして、夢を追いかけながら生きている亜希子さんがうらやましい」と言われたことがあって。

 一見、誰しもがうらやむ生活をしていても、満たされない何かを秘めつつ生きている人もいる。そうした「不完全さ」を抱えた人たちが肩を寄せ合い、それでも前向きに生きる姿を描きたいと思いました。

料理監修は今井真実さん 「がっつり」から「あっさり」まで!

大木亜希子さん=東京都千代田区、門間新弥撮影

 ――小説の中では、シーンごとに様々な料理が登場します。その料理のレシピまでついていて、珍しいつくりですね。

 今回、お料理の監修を料理家の今井真実さんにお願いして、小説と料理のレシピを組み合わせた本にできました。それも、何か特別な材料を用意しなくてもつくれるものを中心に。「この本で、心と胃袋を両方満たしてほしい」という願いからです。

 人は生きていくうえであれこれ考えてしまうものですが、おなかを満たしてこそ、いい考えもいい選択肢も浮かぶというものです。

 メニューづくりに際しては、私の方からお料理のイメージを今井さんにお伝えし、今井さんにオリジナルレシピを作成していただきました。まさにイメージ通りの素晴らしいレシピばかりです。がっつり系もあっさり系も網羅していますので、ぜひこの本を片手にキッチンに立っていただけたらと。

本当の自立って…「依存先がたくさんあること」なのでは?

 ――葉のセリフに「依存できる先がたくさんあることこそ本当の自立って言うんじゃないですかね?」というものがありました。

 執筆の終盤に、自然と浮かび上がってきた言葉でした。人は支え合って――というより、それぞれができることや得意なことを持ち寄って生きていくしかないものだと思います。地位、名誉、経済的な豊かさ。何か一つだけに寄りかかる生き方は、案外もろいものだと思います。

 振り返れば、この小説の執筆に2年を要しました。時に迷走し、行き詰まり、担当編集者の川村由莉子さんと黒岩里奈さんにたくさん弱音を吐きました。そのつど川村さんと黒岩さんは真剣に向き合ってくれて、私を正しい場所に連れ戻してくれたのです。

 「甘えられる先をたくさんつくる」。それは決して恥ずかしいことではないんだ、と実感を込めて記した言葉でもあります。

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