東京の代官山ヒルサイドテラスや東京体育館など、モダニズム(近代主義)を基本にした知的な作品で知られる建築家で文化功労者の槇文彦(まき・ふみひこ)さんが6日、東京都内の自宅で老衰のため死去した。95歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を開く予定。
端正な都市景観を生んだヒルサイドテラスや、京都国立近代美術館、幕張メッセ、テレビ朝日本社、米ニューヨーク・世界貿易センター跡地のビルなど、洗練と品格を備えた作風で、日本を代表する国際的な建築家だった。2013年には、新しい国立競技場の当初案に巨大過ぎると異論を唱え、後にこの案は白紙撤回された。
1928年東京生まれ。祖父は竹中工務店会長を務めた竹中藤右衛門。東京大建築学科を卒業後、米ハーバード大大学院などに留学。同大准教授などを経て、65年、東京に事務所を設立した。
師は丹下健三氏で、磯崎新氏、黒川紀章氏とともに丹下研究室の三羽ガラスと呼ばれた。早くから頭角を現し、名古屋大・豊田講堂(60年)で日本建築学会賞を受けた。
60年代には、菊竹清訓氏、黒川氏らとともに、社会の動きに応じて変化する建築を唱えたメタボリズム(新陳代謝)グループに参加。ポストモダン建築が席巻した80年代には遊戯性のあるスパイラル(東京・青山)を発表するなど、時代の空気を敏感につかみ、基本的には金属やガラスといった近代の素材による建築に洗練の度を加えていった。
一方で「奥」という概念で東京の都市構造を読み解き、「見えがくれする都市」(共著)などの優れた都市論も残した。
79~89年に東大教授。建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞や朝日賞、世界文化賞など受賞も多い。日本芸術院会員。
モダニズムの美意識に貫かれたヒルサイドテラス
槇文彦さんは知的でダンディ…