左足の第5中足骨骨折が判明し、ただちに患部がシーネ固定された。松葉杖の使用が欠かせなくなった=2024年8月26日、北海道函館市、神村正史撮影

痛みに耐える方法探る

 8月24日未明、「第1回道南ものがたりジャーニーラン」(210キロ、スポーツエイド・ジャパン主催)に出走した選手らは、ヘッドライトやハンドライトで日本海追分ソーランライン(国道228号)の暗い路面を照らしながら進んでいた。

 14~15キロ付近で路面の穴に左足をとられた際、骨が折れたような音を左足首から聞いてしまった私は、着地に細心の注意を払い、痛みに耐えながら進むしかなかった。

筆者の左足を真上から撮影したX線写真。カーソルの指している亀裂が第5中足骨の骨折部位=2024年8月26日、北海道函館市

 チェックポイント(CP)1のサラキ岬(木古内町、30.4キロ)には午前3時8分に到着。何とかして、もうしばらく痛みに耐え抜く方法はないだろうか、と悩んだ。

チェックポイント(CP)1のサラキ岬。幕末に活躍した咸臨丸の終わりの地とされる=2024年8月24日午前3時9分、北海道木古内町、神村正史撮影

 この日、私の所属する中標津十二楽走が、CP5の白神岬(85.9キロ、松前町)から少し先で、私設エイドを出す予定になっていた。スタッフは私の妻とその両親。私設エイドに立ち寄ってくれたすべての選手に、飲料や簡単な食べ物を提供する計画だった。

主催者のスポーツエイド・ジャパンがエントリー者に配布した白神岬付近の地図。中標津十二楽走は岬から1.5キロほどの場所に私設エイドを設けた=2024年8月23日、北海道函館市、神村正史撮影

 その妻が私設エイドを開く場所へ車で向かう途中に、痛みを緩和するアイテムを渡してくれたら、と私は考えた。

筆者の所属する中標津十二楽走が、白神岬から1.5キロほどの場所に設置した私設エイド=2024年8月24日、北海道松前町

 午前4時5分、スマホから妻へメッセージを送った。

 「14キロ付近で、左足が路面の穴にはまり、足首をひどくひねりました。痛み止めを飲みましたが、痛くてキロ9分がやっとです。今は歩いています。足首を固めるテープがあれば持ってきてください」

 妻からの返信はなく、午前4時34分、CP2の道の駅「みそぎの郷きこない」(木古内町、39.5キロ)に着いた。

つらい時こそ笑顔だ

 靴下を脱いで左足の状態を確認すると、甲の左半分が紫色になっていたが、想像していたほどの腫れはなかった。

 このため「やっぱり骨は折れていないんじゃないか」と都合の良い方向に思い込み始めた。ただ、路面に足が着いていなくても痛みは確実に増してきていた。

 CPに併設されたエイドステーション(AS)でラーメンをいただき出発。妻に「木古内の道の駅を出発します。足、とても痛いですが、腫れはひどくなかったです」とメッセージを送ると、すぐに電話がかかってきた。

 妻には「車で移動中に私を見つけたら、消炎・鎮痛効果のある湿布を渡して欲しい」と頼んだ。

 伝統神事の「寒中みそぎ」で知られる「みそぎ浜」のそばを通ると、ちょうど鳥居に朝日が差し込んできた。晴天。気温がぐんぐん上昇する。

伝統神事の「寒中みそぎ」で知られる「みそぎ浜」のそばを通ると、ちょうど鳥居から朝日が差し込んだ=2024年8月24日午前5時19分、北海道木古内町、神村正史撮影

 48キロ付近の知内町内のコンビニで、氷、水、アイスを買って体を冷やす。暑さは気になるものの、左足以外は調子がいい。それがとても悔しかった。

 知内町の市街地を過ぎると、だんだん上り坂になった。ちょっとでも走ると、痛みで目尻に涙が浮かんでくる。でも、まったく走れないわけではないから、泣きながら走る。

 自分に言い聞かせた。

 「つらい時こそ笑顔になろう」

 「人から見られている時は笑顔でいよう」

 でも、なかなか実行できない。サングラスで目元が隠れていて良かった。

 左足の骨が折れているにもかかわず、レースを続行する筆者。骨が折れていることを認めてしまうと、心も折れてしまう。だから、筆者は「骨は折れてはいない」と強く信じていました。しかし、やがて痛みはその気持ちを上回ります。骨折から70キロ以上も進み続けられた理由とは……。

 CP3の道の駅「しりうち」…

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