水俣病患者らの団体と伊藤信太郎環境相との懇談の場で、環境省職員がマイクの音を切るなどして団体側の発言を遮った問題に関し取材に応じる岸田文雄首相=2024年5月8日午後6時30分、首相官邸、岩下毅撮影

 岸田文雄首相は10日、自民党所属国会議員が参加する勉強会で語った。「原敬元総理は、いわゆる世論(せろん)と輿論(よろん)をはっきり別物として捉えていた。輿論とは政治にとって背いてはならないもの。信念を持って、ぶれずに、輿論を重視した政治を日本の未来のためにも、そして国民のためにも進めていかなければならない」

 岸田首相が具体的に何を指して「輿論」と言ったのかははっきりしないが、「国民の信頼」と言い換えるなら、首相も政権全体も輿論に向き合っているとは、とても思えない。

 5月1日、熊本県の水俣病患者らの団体と伊藤信太郎環境相の懇談の場で、環境省職員が団体側の発言が設定時間を超えたとして、マイクの音を切った。妻を亡くした男性が「家内は去年の4月に『痛いよ痛いよ』といいながら死んでいきました」などと話をしている最中だった。

 伊藤環境相は懇談会の終了後、参加者の問いかけに「私はマイクを切ったことは認識していません」。環境省によると、マイクを切ったのは伊藤環境相の帰りの予定に合わせるためだったという。

 この報道に触れたとき、私は厚生労働省の担当をしていた2018~19年の出来事を思い出した。

 旧優生保護法(1948~96年)の下で、障害や特定の疾患がある人たちが不妊手術を強いられた。被害者らが各地で訴訟を起こし、与党や超党派議員連盟、政府が救済策を検討していた。

 被害男性の一人は、自身のこれまでを書面にまとめた。

 説明もないまま手術を受けさせられた。不妊手術だと知ってからは、父親が手術を受けさせたのだと恨んだ。妻が病気で亡くなる数日前まで手術について打ち明けられなかった。「妻が友人の赤ちゃんをうれしそうにあやす姿を見て、申し訳なく思いました」。被害者が裁判を起こしたというニュースを見て、不妊手術は国の政策だったと知った――。

 男性は書面の最後に「私たちが人生をやり直すことはできません」とつづった。

 政府は時に、法律を盾に人間の尊厳を踏みにじるむごい政策を推し進めることがあるという事実。政府の過ちや、被害者の救済がどう進んでいくのかをきちんと報じなければとの思いが募ったが、男性の書面に当事者の声ほど伝える力のあるものはないと気付かされた。

 熊本でのマイク問題をめぐり、伊藤環境相は懇談会から1週間後に現地を再び訪れ、関係者らに謝罪したうえで、改めて懇談の場を設定する考えを表明した。しかし、当初の懇談会が、当事者の声を聞いて政策に生かす考えはそもそもなく、関係者と会ったという事実を作ることだけを意図していたとの批判は免れないだろう。

 一方の岸田首相はどうか。記者団の取材に「関係団体の皆様方を不快にさせる不適切な対応だった」「(伊藤)大臣は今まさに現地に赴いて、謝罪等の対応をしている最中であると認識している」と語った。

 マイクを切ることは、被害者…

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