2月、小澤征爾さんの訃報(ふほう)が流れたすぐ後に、かつて小澤さんが、自身のファンだった少女の死に人目もはばからず泣いている姿を見たという話を書いた。
- 少女の死に涙した小澤征爾さん 幸福と孤独を抱えたパイオニアの素顔
数日後、一通の便りが届いた。「『ひとりの小さなファン』の母親です」
3月下旬、南アルプスの豊かな自然の懐で暮らす両親を訪ねた。少女が亡くなったあと、埼玉から夫婦で越してきたのだという。
少女の名は秦野三起(みき)さん。2000年9月1日、小澤さんの65歳の誕生日に、私は楽屋でインタビューの時間をいただいていた。控えめなノックの音。現れた若い夫婦のあまりに謙虚な風情から、先の記事で私は「初対面のようだった」と書いたが、今回話を聞くと、実はそうではなかった。三起さんと一緒に1994年、小澤さんが指揮する米ボストン交響楽団の来日公演を聴いていた。
おてんばで元気いっぱいの三起さんが、てんかんの薬の副作用で脳に障害を負ったのは5歳の時。本物の芸術に触れることが機能回復につながるという話を聞き、家族で初めて訪れたクラシックのコンサートだった。三起さんはみじろぎもせず音楽に集中していた。
終演後、サイン会の最後尾に並ぶ一家を見た小澤さんは立ち上がって三起さんに歩み寄り、前にしゃがみこんだ。「僕の音楽、どうだった?」。しゃべれない三起さんの手をとり、じっと目を合わせていた。「またコンサートに来てね」
社交辞令ではなく、小澤さん…