幾坂池の池さらえについて記した安政5(1858)年の絵図=2024年4月4日、奈良県天理市杣之内町
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 お寺が水を引いてコイや金魚を飼うので、我が村の田んぼの水が足りません――。天理大学(奈良県天理市)は、同市杣之内(そまのうち)町の山口地区に伝わる古文書を調査した報告書を発行した。水の利用をめぐり、近隣の村や寺と争いになっていた様子をうかがい知ることができる。

 史料は山口地区の公民館に保管されていたもので、同大人文学部の幡鎌一弘教授らが学生らと整理・調査した。天正18(1590)年の水利用の取り決め文書から、平成の周辺整備工事の図面まで約540点を確認したという。

 江戸時代や明治時代の文書からは、地区の前身である山口村と、南西にある三昧田村との間で幾坂池の水をめぐって繰り返し争いが起きていたことがわかる。安永5(1776)年には京都町奉行所に訴状が送られた。役人の現地調査のための指示や、宿や絵師の手配など村の対応が文書として残されている。

 明治時代に廃寺となった内山永久寺との水争いの史料もあった。

 天保3(1832)年に山口…

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