実家が土砂に埋もれた現場近くを歩く水口薫さん=2024年12月8日、石川県輪島市市ノ瀬町、伊藤進之介撮影

 「元通りにならないことはわかっている」

 吐く息が白い冷え込んだ朝、自宅近くで犬と散歩しながら水口薫さん(46)は話した。能登半島地震による土砂崩れで3人が犠牲になり、複数の住宅が土砂に埋もれた石川県輪島市市ノ瀬町。発生からまもなく1年経つ現場は、土砂をならした盛り土の斜面に、湿った雪がつもっていた。

 水口さんの両親は外出していて助かったが、実家は跡形もなくなった。家族で遊んだ小川の流れも、田んぼが広がる当たり前だった景色も様変わりした。実家から200メートルほど離れた自宅は一部損壊で残ったが、6月にさらなる土砂災害の危険から住むことができない長期避難世帯に認定され、今は仮設住宅で暮らす。

輪島朝市で消火活動する水口薫さん(左)=2024年1月2日、石川県輪島市河井町、伊藤進之介撮影

 消防団員の水口さんは元日、両親の無事を確認し、妻と2人の息子、近所の住民を公民館に避難させた後、輪島朝市で夜通し消火活動にあたった。その後は、支援物資の確保と配布や、ポンプ車での夜間パトロールをしながら、公民館の軒先に設けた仮設テントで生活した。復旧作業も担う土木関係の仕事も忙しく、「8月ごろまで家族の生活を考えることもできなかった」という。

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 家や田んぼの一部を失っただけではなく、家族との生活は一変した。息子2人は、地震後、市外の姉の家に身を寄せた。その後、妻は勤め先の移転で息子2人と4月に東京へ引っ越した。3人が輪島を離れてから、一緒に過ごせたのは、春休みと夏休みに帰省したときと運動会を見に行ったときだけだ。

輪島は不便なところ でも…

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