追加されたシラードの要請書のページと改訂版図録「広島の記憶」

 広島市西区の公益財団法人「泉美術館」で2023年夏に開かれた特別展「広島の記憶」で発行され、好評で完売した図録「HIROSHIMA」の改訂版が、被爆80年を前に完成した。そこには、制作に携わった人たちの熱い思いが凝縮されている。

 改訂版の図録はAB判、131ページ。冒頭には、原爆投下から13年後、写真家の土門拳が世に送り出した写真集「ヒロシマ」の一文が記されている。

 《「ヒロシマ」は生きていた。それをぼくたちは知らなすぎた。いや正確には、知らされなさすぎたのである》

 占領下のプレスコード(1952年まで続いた報道統制)で原爆被害に関わる写真や記事が検閲を受けて没収・廃棄され、米国でも放射線被害を隠蔽(いんぺい)するなど報道規制がかけられたことを指している。

 図録には「廣島の絵葉書」として原爆ドームの前身の広島県産業奨励館や路面電車など戦前の風景や、海外の資料も多く含まれる。「知られていない広島を伝える」との狙いを貫きながら、再版に合わせ、内容の一部がリニューアルされた。

 特別展を企画したNPO法人「広島写真保存活用の会」代表の松浦康高さん(69)は、図録の末尾に一つの資料を追加した。原爆開発のマンハッタン計画に関わった米国のユダヤ系物理学者レオ・シラードらが、トルーマン米大統領に宛てた1945年7月17日付の要請書だ。

 極秘指定されたその文書は、「新たに解放された自然の力を、破壊を目的として使用する先例を作る国は、想像を絶する規模の破壊の時代の扉を開くことに対し、責任を負わねばならない」と指摘し、原爆の使用を控えることや道徳的責任を考えることを求めている。

 松浦さんは「要請書は計画を指揮したグローブス将軍に踏みにじられたが、ある意味で予言は当たっている。日本人として知っておくべきだと思った。土門拳の言葉の通り、私たちは知らされなさすぎた」と語る。

 「若い人も手に取りやすいように」と図録をデザインしたデザイナーの木原実行(みゆき)さん(65)は改訂版で、表紙の裏に展開するパノラマ写真のセピア色の刷り出しにこだわった。産業奨励館や周囲の家並み、原爆投下の目標となった相生橋が写った戦前の風景だ。

 松浦さんや木原さん、「未来に伝えてほしい歴史があります。」のコピーを考案したコピーライターの児玉典子さん(59)をはじめ、資料の監修や参考文献の充実に尽力した人々を含めて、チーム「広島の記憶」の努力が改訂版に結実した。

 泉美術館は、「ゆめタウン」を展開するイズミの創業者・山西義政さんが開設。父を継いで美術館理事長を務める山西道子さん(72)は「原典に当たれる資料集として完璧となった。若い人の勉強に生かしてほしい。若い人に生き延びてほしいのです」と話している。

 改訂版は5千部発行。2500部は全国の図書館に届け、主な紀伊国屋書店で販売する。1冊千円。泉美術館のHP(https://izumi-museum.jp/)からも申し込める。

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