次男の睦くんと遊ぶ真脇龍さん=2024年12月7日、金沢市、田辺拓也撮影

 「どこにおりたいと聞かれれば、珠洲におりたい。でも、帰る家もない」

 真脇龍さん(31)は石川県珠洲市飯田町で生まれ育ち、能登半島地震発生時には同市の消防士として救助活動にあたった。地震をきっかけに退職し、現在は金沢市のみなし仮設住宅で家族と暮らしている。

 1月1日、真脇さんは珠洲消防署での勤務中に激しい揺れに襲われた。妻の結加さん(31)、長男の朔(さく)くん(8)、長女の藍(らん)ちゃん(6)、次男の睦(りく)くん(4)は海岸沿いに立つ家にいた。次女をおなかに身ごもった結加さんは、地域住民の助けをかりて子どもたちを連れ、津波から逃げた。自宅は津波で全壊した。

 真脇さんは発災直後から消火と人命救助のため出動を繰り返し、金沢へ避難した家族と再会できたのは20日以上経ってからだった。1カ月以上、珠洲市の同僚の家に寝泊まりし、任務に当たった。

涙が止まらなかった救命処置 珠洲の消防士が振り返る「苦渋の決断」

能登半島地震発生から1カ月後の2月、真脇龍さんは、消火と救助活動に奔走した発生当初からの壮絶な日々と葛藤について語ってくれました。

 「家族を守れんかった」

 消防士として珠洲の人たちを助けてきたが、「家族が大変なときにそばにいられなかった」。後悔が残った。

 2月19日、次女の縁(えん)ちゃんが生まれ、地震前から決めていた育児休業を取った。ようやく金沢で家族と一緒に暮らすことができた。

「家族が津波から逃げられたのは、人とのつながりがあったから」という理由で、次女は人との縁に感謝したいとの思いから「縁(えん)」と名付けた=2024年12月7日、金沢市、田辺拓也撮影

 だが、子どもたちの様子が地震前と変わっていた。兄妹げんかが激しくなり、顔にひっかき傷をつくるようになった。長男の朔くんは、画用紙に珠洲の自宅を描き、その周りを津波を表す青いクレヨンで塗りつぶした。

消防士の仕事は誇りだが、後悔したくない

 「子どもながら、死ぬと思っ…

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