航空レーザー測量図上に推定復元された佐紀池ノ尻古墳(白線)=奈良市教育委員会提供

 奈良市の平城宮跡のすぐそばで、これまで知られていなかった全長約200メートルに及ぶ大型の前方後円墳の痕跡が見つかった。市教育委員会は「佐紀池ノ尻(さきいけのじり)古墳」と命名し、1日発表した。都の建設時に破壊されたとみられ、これほどの規模の古墳が取り壊された例の発見は極めて珍しいという。

 痕跡が見つかったのは、平城宮に隣接する平城京の一角で、いまは住宅が立ち並ぶ「佐紀古墳群」の近く。北側には、天皇や皇族が葬られた陵墓などとして宮内庁が管理する200メートル級の前方後円墳3基がある。

 2023年8月、同市法華寺町の発掘調査で、幅8メートル以上の溝の跡から円筒埴輪(はにわ)や盾形埴輪が出土。4世紀末のものと推定された。

 現場周辺の航空レーザー測量の結果と照合し、溝跡の北で、古墳の痕跡とみられる高まりも確認された。過去に周辺であった発掘調査の情報と総合し、全長約200メートルで、幅約30メートルの周濠(しゅうごう)に囲まれた4世紀末の大型前方後円墳の痕跡と判定した。

 痕跡は8世紀初めごろの造成土の下から出土。710年の平城京遷都にともなう建設工事で破壊されたらしい。過去には同古墳の東や南でも、平城京の遺構の下から全長100メートル前後の古墳の痕跡が見つかっている。

 平城宮跡の北側には、全長約253メートルの前方後円墳だったとされるが、宮の造営時に削られ、直径約105メートルの円墳状になった市庭(いちにわ)古墳もある。5世紀前半に築かれたとされるが、現在は宮内庁が平安時代初めの平城(へいぜい)天皇陵に指定している。

 調査を担当した奈良市埋蔵文化財調査センターの村瀬陸学芸員は「完全に破壊された古墳としては、知られる中で過去最大なのでは」と指摘。「平城京の建設時に陵墓と認識されていなかった古墳は、容赦なく破壊されていた可能性がある」と話す。

 佐紀池ノ尻古墳の出土品は、奈良市埋蔵文化財調査センターで3日から31日まで開かれる発掘調査速報展で展示される。

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