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左から渡辺義広、宮倉秀仁、石津誠、中島昌宏。甲子園出場から34年。今も熱い心を持ち続けている
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【連載】高校思い出クリック~青春群像記~

高校をシリーズで紹介する企画。今回は埼玉県立伊奈学園総合高校の3回目です。

 1990年第62回選抜高校野球大会2日目の第4試合は、七回からこの大会初のナイターとなった。

 初出場の伊奈学園総合高校(以下、伊奈学)は金沢高校(石川)と対戦。3対3で迎えた延長十回表、一死一、三塁。マウンドに立つのは力投を続けてきたエースの銭場一浩(52、91年卒)。次打者に向け投球する瞬間だった。金沢の三塁走者がスタート、スクイズに気づいた銭場はとっさに外角高めにはずした。

 捕手で主将の宮倉秀仁(52、91年卒)は「『なんだよっ!』と思いながら3メートルジャンプしたが捕れなかった」と悔しがる。チームメートは「30センチも跳んでいなかった」と笑いながら口をそろえる。結局その1点が決勝点となり、伊奈学は惜敗した。

 中堅手の渡辺義広(51、91年卒)は「甲子園に行くために伊奈学を選んだわけではなかった」と話し、遊撃手の石津誠(52、91年卒)が「野球は部活動の一環」と振り返るように、ほとんどの野球部員は「甲子園」を夢のまた夢とみていた。

 その中で入学時から「絶対に甲子園に行く」と目標を持って練習に打ち込んでいたのが中島昌宏(52、91年卒)だった。

 その熱さは練習だけに発揮されたわけではなかった。「甲子園を肌で感じることが大切だ」と、渡辺ら数人と夜行列車に乗って甲子園視察を敢行。準決勝戦を見て「このレベルであれば自分たちも出場できる」と感じたという。

 この確信を抱いていたのは中…

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