鳥取県境港市で発見され、長年行方が分からなくなっていた「夜見ケ浜人」の人骨が今春、東京で見つかった。18年間も人骨を探し続けた男性の執念が実を結んだ。旧石器時代の人骨とされた真贋(しんがん)はいかに――。
「外江で発見された旧石器時代の人骨は、どこにいったのか」。2006年、境港市で開かれたある講演会で、講師が人骨を話題にあげた。
当時、市教育長だった根平雄一郎さん(76)も会場にいた。自分の暮らす境港で、旧石器時代の骨が発見されていたんだ……。さっそく市教育委員会の職員に人骨の探索と情報収集をするよう指示したが、行方につながる情報はなかった。
その人骨は1969年、境港市外江町の工事現場で発見された。左あごの一部で、70年に早稲田大の直良信夫教授(1902~85)が「5万~2万年前の後期旧石器時代の女性」と鑑定し、「夜見ケ浜人」と命名。直良教授が早大を定年退職したとき、ほかの研究資料とともに人骨を早大に寄贈したが、いつしか行方が分からなくなっていた。
2011年に市教委を退職した根平さんは、腰を据えて人骨の行方を探し始める。翌年、松江市の島根県立図書館で「直良信夫コレクション目録」を見つけた。目録の参考付録に、夜見ケ浜人の資料が早稲田大本庄高等学院(埼玉県本庄市)に保管されていることが記されていた。
ようやくつかんだ手がかりに喜んだが、高校に問い合わせると「人骨化石については不明」との回答。高校側でも人骨を探したが、見つからずじまいだった。
根平さんは、直良教授について書かれた本の筆者や当時の関係者らにあたり、人骨の行方を根気強く追った。国立科学博物館、東大総合研究博物館、国立歴史民俗博物館……。
早大に寄贈された骨は再鑑定…