
新潟県中部の山あいにあり、冬には積雪が4メートルを超えることもある小千谷市の塩谷(しおだに)集落。2004年10月の中越地震で大きな被害を受け、世帯数が6割減った限界集落にとって「復興」とは何か。20年間通い続けた研究者らが考え、1冊の本にまとめた。
塩谷集落は地震とその冬の豪雪で、49世帯のうち31世帯が全壊。小学生3人が亡くなった。隣の山古志村(現・長岡市)と同様「全村避難」の状態になり、避難所から仮設住宅での生活を経て、20世帯が自宅を修理や再建して、帰還した。
一方、29世帯は山を下り、中心市街地の近くに造成された団地に防災集団移転したほか、災害公営住宅に入居するなどした。
当時、大阪大学の助教授でボランティア団体のメンバーだった渥美公秀さん(63)が、塩谷を頻繁に訪ねるようになったのは06年6月。地震後初めて行われた田植えに、学生とともに参加した。
「やけに年取った学生がいる…