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傘寿記念コンサートで指揮をする小澤俊朗さん=2024年12月1日、東京都練馬区、六角橋吹奏楽団提供

 神奈川大学や千葉県立銚子商業高校の吹奏楽部を率いた小澤俊朗さんが今年、80歳を迎えた。名指揮者として日本の吹奏楽に大きな影響をもたらすとともに、全国各地に指導法を指南してきた小澤さんに「歴史」を振り返ってもらった。

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やわらかく色彩豊かな音を目指して

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傘寿記念コンサートに向けての練習に集まった教え子たちに語りかける小澤俊朗さん=2024年11月16日、横浜市、魚住ゆかり撮影

 楽器との出あいは小学生のころ、自宅の物置で見つけた軍隊用の「信号ラッパ」を、屋根の上の物干し台で吹いて遊んだのが始まりです。

 生まれ育った千葉県銚子市の銚子一中に入学すると、吹奏楽部顧問の関欣一先生に校内放送で呼び出されました。

 「吹いてみろ」

 トランペットを渡されて吹いたところ、簡単に音が出たことから即入部となりました。3歳上の兄が部員だった縁のようです。すぐに、吹奏楽に夢中になりました。

 銚子商を卒業してからは、フリーのトランペット奏者になりました。オーケストラで演奏するかたわら、ヤマハの依頼で、トランペットを教えたのが、指導の始まりでした。ちょうどそのころ、全国各地の小学校にマーチングバンドが次々誕生していました。

 その後、頼まれて、1966年から母校・銚子商を指導するようになりました。

 当時は、軍楽隊出身の指導者が活躍しており、吹奏楽コンクールでも、金管と打楽器中心の骨太なサウンドの団体が中心でした。

 一方、僕は金管、木管、打楽…

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