【対局中継】芝野虎丸名人ー一力遼棋聖【第49期囲碁名人戦第6局2日目】

 3連覇を目指す「虎」が決着を最終局まで持ち込むか、世界一の「力」がついに決めるか――。芝野虎丸名人(24)に一力遼棋聖(27)が挑戦している第49期囲碁名人戦七番勝負(朝日新聞社主催、ホテル三日月協力)の第6局が30日、千葉県木更津市の龍宮城スパホテル三日月で前日から打ち継がれ、対局2日目が始まる。

  • 【1日目詳報】芝野名人が封じ手 予測困難、解説者「一手先もわからない」

 名人戦の歴史に残る激闘のシリーズとなっている七番勝負。3勝2敗としている挑戦者の名人初奪取となるか、前局を圧巻の内容で制した名人が再び耐えるかという佳境の一局。1日目は主導権を握った挑戦者の優勢となったが、名人も午後に入って巻き返した。芝野が99手目を封じた。

1日目を終えて対局室を出る芝野虎丸名人(左)と一力遼挑戦者=2024年10月30日午後5時32分、千葉県木更津市、相場郁朗撮影

 持ち時間は各8時間。1日目の消費時間は名人3時間52分、挑戦者3時間38分。31日午前9時に封じ手を開封して対局は再開され、同日夜までに終局する見込み。

 立会人は張栩九段、新聞解説は河野臨九段、記録係は伊藤優詩五段と近藤登志希二段、YouTube解説は蘇耀国九段。朝日新聞デジタルでは七番勝負の模様をタイムラインで徹底詳報する。

タイムライン連載「囲碁よ」第18回

伊田篤史九段「サーキットの爆音、初手天元の夢」

 棋士たちの肉声を伝える連載「囲碁よ」。第18回は伊田篤史九段(30)の物語。

 出身は三重県鈴鹿市です。サーキットのある街で、普段は閑散とした田舎なんですけど、日本グランプリが開催される時は急に人混みができるんです。実家からサーキットまでは車で15分くらい離れていますけど、F1の爆音は聞こえてきます。実際の観戦は……近すぎると行かないものですね(笑)。

 父が碁のアマ五段で、小さい頃に教えられましたけど、小3の時にアニメの「ヒカルの碁」が始まって興味を持つようになりました。

伊田篤九段=2024年9月18日午後3時25分、三重県鳥羽市、北野新太撮影

 近所のコミュニティセンターや公民館で「十星会」という囲碁サークルをやっていて、始める環境にあったこともありますし、みんなにかわいがってもらえるようになっていたことも大きかったと思います。

 最初にプロになろうと思った動機は不純です。「ヒカルの碁」で「タイトル戦の賞金は3000万円」って見たんですよ。プロになるとこんなに……と具体的に知ることができたのもよかったかもしれないです(笑)。サークルに馬場先生(師匠の馬場滋九段)も指導にいらしていたし、プロになるまではスムーズにいけたと思います。何も知らずに碁だけやって、碁のプロになって、碁の世界にいる、という人間です。

 19歳で本因坊リーグに入って、初参加で挑戦者になって、井山(裕太)先生と打って。今でも覚えているのは1勝3敗で迎えた第5局です。内容的には勝てたかもしれないと思っていたのに、秒に追われて敗着を打ったような碁になって。「たられば」なんて言ってもしょうがないけど、あの碁に勝っていればもうちょっと勢いがついて、人生は変わっていたかもしれない、という思いも少し残ります。

 15年に十段を取ることができて、これからは井山先生にぶつかっていきたい、という思いでした。実力的にははっきり届いていないですけど、勝負は実力で決まるわけじゃないですから。そんなことを思って。

 翌年に六冠を持った井山先生が挑戦してこられた十段戦は特別なものでした。自分が、というよりも、棋士全体として「さすがに七冠全部を取られたらダメでしょ」という空気はあったので、背負わなきゃいけない使命感も重圧もありました。

 実は余君(仲の良い余正麒八段)のせいなんですけどね。十段戦の挑戦者決定戦で余君が井山先生に逆転負けを食らった時は『何してくれてんねん!』と思いました(笑)。コレ、取られたらボクのせいじゃんか…って。

 七冠達成の時の相手になるのは、めちゃくちゃキツかったです。実力ははっきり劣っていて、最終局なんて碁になってなかったので結果を受け入れてはいるんですけど、喪失感が大きくて。そもそもタイトルを失うことも初めてなので。半年くらいは引きずりました。今となってはいい経験だったと言えますけど。

 お酒も全然進まないくらい何…

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