始球式を終え、手を振る吉田義男さん=2024年8月1日、阪神甲子園球場

 3日、91歳で亡くなった元阪神監督の吉田義男さんは現役時代、守りだけでもファンを魅了した。華麗なフットワークでゴロを捕って、流れるように送球。二塁上でのクロスプレーでは、軽快にジャンプして走者をかわす。

 その軽やかさと京都出身もあいまって、ついた異名は「今牛若丸」。一連の動きには芸術的な美しさがあり、三塁の三宅秀史、二塁の鎌田実と組んだ「黄金の内野トリオ」は、「試合前のシートノックだけでも入場料がとれる」と評された。

 口うるさい阪神ファンだけでない。大リーガーたちも引きつけた。1955年オフ。来日した大リーグ・ヤンキースと対戦した際、ヤンキースの選手による投票でアウトスタンディング・プレーヤー(傑出した選手)に選ばれた。メジャーで通用する選手として、当時のステンゲル監督が「守りはヨシダ」。それが社交辞令かもしれないと分かっていても、本人は喜んだという。

 勝てば大将、負ければ罵声。引退後は、こんな人気チームの指揮を3度、計8年間執った。3度も阪神監督をやったのは吉田さんだけだ。

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 最初の監督の時はがむしゃらに突っ走り、周りの理解を得られないまま3年間で去った。熱心な大リーグ取材のあと、85年に復帰。2度目の登板でも頑固さは変わらなかったが、人との接し方に丸みを帯びていた。チーム作りでのぞかせた気配りだ。

 内野だった真弓明信を外野へ…

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