コラム「北陸六味」 長野栄俊さん(認証アーキビスト・司書)

 金沢市を〝古都〟と呼ぶことはあっても、富山市や福井市をそう呼ぶのは聞いたことがない。

 3市とも元は近世大名の城下町として栄えた町で、〝古さ〟にさして違いはないはず。これは現在の町並みが、城下町の頃の面影をどれだけ残しているかで違いが生じたものだろう。

 昭和20(1945)年の福井空襲では市街地の85%が焼失し、富山大空襲では99・5%が焼き尽くされた。福井市はこれに加え、同23年に福井地震にも見舞われている。

 昭和20年代の都市計画事業により、福井市街は道幅の広い大通りが直交するようになり、「城下町の面影は失われた」(福井市史)とされる。

 今年3月の新幹線延伸でJR福井駅周辺に旅行者の姿が目立つようになった。駅から10分ほど歩けば、旧福井城下の中心部にたどり着けるというのに、本丸周辺以外に城下の名残を感じづらいのは、何とも残念なことである。

 ところで、お盆休み中、その福井駅前の複合施設で「妖怪フェス」なるイベントが開催されていた。福井市とまちづくり福井株式会社が共催したものだ。

 フェスのメインは「マットマイヤー妖怪イラスト展」。マットさんは福井市在住の妖怪絵師で、日本の妖怪を世界に発信すべく、英語版の妖怪画集をこれまでに4冊刊行してきた。イタリア語・スペイン語・フランス語にも翻訳され、世界中に多くのファンがいる。

 今回、50点の展示品のうち30点が越前地方の奇談や妖怪を絵画にしたもので、さらにその約半数は福井城下を舞台にしたものだった。

 これらの奇談は江戸時代にくずし字で書かれ、現代にまで伝わった。筆者がこれを読解し、現代語訳してマットさんに提供。それらが素晴らしいアート作品に化けた。

 来場者は県内の親子連れだけでなく、「ご当地奇談」「ご当地妖怪」を目当てに県外から来た方もいたようだ。

 そんな福井城下の奇談を一つ紹介しよう――藩士・水野源七の妻が厠(かわや)で用を足そうとしたところ、毛むくじゃらの手で尻をなでられた。そこで源七は厠で待ち伏せ、刀でこの手を切断。後で老カワウソが手を返してほしいと懇願してきたので、不思議な皿や秘薬の製法と引き換えに手を返した――という話。

 この水野屋敷の場所が古文書などからピンポイントで特定できる点が面白い。福井県国際交流会館が立つ敷地の一角がそれで、南と西を流れる芝原用水は江戸時代に引かれたもの。この用水を伝ってカワウソはやって来たのかしらと空想するだけでも、城下町の面影が立ち現れてくる。

 ヒストリーにストーリーが加わると一挙に親しみも増す。奇談や妖怪でまちづくりや観光を盛り上げるのも、また一つの方法ではないか。(認証アーキビスト・司書)

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