日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を受けた。10日にノルウェー・オスロであった授賞式に合わせ、記者(32)も広島から現地に渡って取材した。
歴史的な瞬間に立ち会えた喜びに浮かれていた。それに気づかせてくれたのは、帰国後に広島県庁で開かれた報告会見だった。
授賞理由の受け止めを問われた代表理事の田中聡司さん(80)が「功績が認められたというよりも」と切り出し、世界で核兵器使用の危機が迫る中、それを誰も止められそうにないと嘆いた。「国連すら機能せず、窮地に立った国際社会の期待が(授賞に)込められている。私たちは大きなものを請け負わされた」
ノーベル委員会が発表した授賞理由には「日本被団協やその他の被爆者の代表者らによる並外れた努力は、核のタブーの確立に大きく貢献した。だからこそ、この核兵器使用のタブーがいま、圧力の下にあることを憂慮する」とある。
厚生労働省によると、被爆者の平均年齢は今年3月末時点で85・58歳。日本被団協によると、かつて全都道府県にあった組織は11県で解散した。
ノーベル委員会のヨルゲン・ワトネ・フリドネス委員長は授賞式で「被爆者たちの遺産を受け継いでいくのは、私たちすべての人間の責任だといえます。被爆者たちは、私たちに明確で、道徳的な羅針盤を与えてくれました。今こそ、私たちの番が来たのです。軍縮を追求していくには、世論による主張と継続的な努力が必要です。勇気ある声、関心を持つ学生、意欲的な教師など新しい世代が必要になります」と話した。
被爆者が声を上げるきっかけとなった原水爆禁止運動は、実は被爆者が始めたものではない。
米国の水爆実験で第五福竜丸が被曝(ひばく)した1954年のビキニ事件を受け、東京・杉並の主婦らが始めた署名運動がきっかけとされる。翌年に開かれた初めての原水爆禁止世界大会の準備会には地婦連、日青協、生協連など96団体が名を連ねたという。日本被団協が産声を上げたのはさらにその次の年だった。
2日、東京・四谷で開かれた渡航前の記者会見で、代表委員の田中熙巳さん(92)は「日本被団協の運動は多くの市民団体に支えられてきた。運動を一緒にやった団体の幹部の人たちの顔が浮かぶ」と話していた。
反核運動は被爆者だけのものではない。平和賞受賞による重責もまた、被爆者だけに背負わせてはいけない。そう肝に銘じた。