中東シリアの内戦でアサド政権には化学兵器使用の疑惑がつきまとってきたが、政権は一貫して否定してきた。化学兵器が使われたとされる現場で何が起きていたのか。2018年4月、首都ダマスカス郊外で、幼い娘を亡くした住民らが朝日新聞の取材に、凄惨(せいさん)な被害の状況を証言した。政権崩壊後、これまで口を閉ざしていた住民たちが重い口を開いた。

化学兵器が使われた当時のことを話すムハンマド・ボルコシュさん=2024年12月14日午後3時43分、ダマスカス近郊、内田光撮影
  • 【そもそも解説】シリア内戦が最大の転機 いつ、なぜ始まった?
  • アサド政権終幕、流動化する世界の象徴 「力の空白」は新たな火種か

 2018年4月7日、当時高校生だったムハンマド・ボルコシュさん(24)は、ダマスカス郊外の東グータ地区ドゥーマの自宅アパートの地下室でアサド政権軍の空爆におびえていた。政権軍は半年前からの猛攻で包囲網を狭め、反体制派の戦闘員らをボルコシュさんの自宅がある一角に追い込んでいた。

住宅に備えられた地下シェルターの入り口。鉄の扉で閉じられている=2024年12月14日午後3時40分、ダマスカス近郊、内田光撮影

 「化学兵器が落とされたぞ」。午後5時半ごろ、近所の男性がドアをたたいて叫んだ。ボルコシュさんが地下から外に出ると、自宅前の通りの一帯には緑がかったガスと塩素のような臭いが立ちこめていた。

 上の階の部屋にのぼると、8…

共有
Exit mobile version