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 (4日、第106回全国高校野球選手権福岡大会2回戦 大和青藍2―1直方)

 「見極めろ!」。大和青藍の三塁コーチャー吉岡大和選手(3年)の声が球場に響いた。

 小学時代から地元で注目の存在。高い守備力で、小学6年で福岡ソフトバンクホークスジュニアの主将に。中学も強豪チームで活躍し、夢の甲子園出場に向け、順調な日々を過ごしていた。

 だが中学2年の5月、夜中に激しい頭痛に襲われた。脳出血で病院に運ばれた。一命は取り留めたが、右半身にまひが残り、一時は言葉も出ない。それでも、文字盤のひらがなを指さし、繰り返し聞いた。「夏の大会に(回復が)間に合う?」。父・清一さんは、答えることができなかった。

 ショックで野球を見るのも、考えるのもつらくなった。でも、嫌いになるなんて、できなかった。つらいリハビリに耐えて退院すると、練習を再開。周囲の紹介で、大和青藍へ。

 以前のようにはいかなかった。守備と走塁が持ち味なのに、送球は塁間も届かず、50メートル走は10秒ぐらい。ノックを受けても、イメージ通りに体が動かないが、あきらめない。捕った球をそばの仲間に渡して投げてもらったり、少しでも遠くまで投げられるフォームを考えたり。工夫を重ね、練習試合に出られるまでに。「出来ないことを一つずつ克服するのって楽しい」と感じられるようになった。

 強豪チームで身につけた打撃や守備のポイントなどを仲間に伝えると、いつしか、みんなから助言を求められるようになった。「ヤマ兄」。チームでは敬意を込めた愛称で呼ばれている。

 この日は出番はなく、「次こそ出たいけど、出られなくても野球が大好き」。将来は理学療法士になり、ケガをした人が復帰する手助けがしたい。(太田悠斗)

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