京急線のルーツ、大師線
東京都心から羽田空港や神奈川・三浦半島までをつなぐ京浜急行線。ターミナルの品川駅は、大きなスーツケースを引く旅行客らで終日ごった返し、時速100キロを超える快速特急が、高架線を駆け抜けていく。
そんな京急の主要路線とは趣の異なる、どこかのんびりした風情のただよう路線がある。川崎市内を東西に走り、川崎大師(平間寺(へいけんじ))への参詣(さんけい)客らを運ぶ大師線だ。
JR川崎駅の東側に隣接する京急川崎駅を訪ねた。高架上にある本線と離れた地上に、大師線のホームがある。すでに列車がとまり、発車を待っていた。コンパクトな4両編成。方向幕は往復を示す「京急川崎↔小島新田」というシンプルな表示だ。ふだんは各駅停車のみで、他の路線との直通列車もない。
こののどかな大師線こそが、実は京急線のルーツという。
大師線の前身である「大師電気鉄道」が現在の川崎駅付近と川崎大師の間に開業したのは、1899年のこと。名前の通り開業当初から電化しており、関東初の電車路線だった。
京急川崎駅から5分、住宅街や工場のそばを通り抜け、川崎大師駅に降り立った。駅前広場の片隅には、電車の車輪をかたどった京急「発祥之地」の記念碑があった。
川崎と鉄道との関わりは長い。日本初の鉄道路線が新橋―横浜間に開通した1872年、川崎に途中駅が完成。徳川第11代将軍・家斉(いえなり)の参詣を機に、厄よけ大師として広く知られるようになった川崎大師へのアクセスが格段に向上し、東京からの参詣客が押し寄せるようになった。
「初詣」生み出した鉄道
この過程で生み出されたのが、今では正月の定番となった慣習だ。「川崎大師は『初詣』発祥の地でもあるんです」。駅前で落ち合った、「初詣の社会史」や「鉄道が変えた社寺参詣」の著書がある神奈川大の平山昇准教授が教えてくれた。
寺社それぞれにある縁日や、恵方(その年の縁起がいい方角)に詣でるのではなく、元日に参詣するという形態は、鉄道の開業をきっかけに生まれたものだった。平山さんによると、1885年1月の川崎大師に言及した新聞記事が、「初詣」という言葉の初出とみられるという。
川崎大師の人気に商機を見いだし、1899年に開業した大師電鉄は、直後に名称を「京浜電気鉄道」に変更した。1905年までに現在の横浜市まで路線を延ばし、今の本線の原型が成立。並行する官営鉄道線(現在のJR東海道線)としれつな競争を繰り広げた。
日露戦争(1904~05年)の際には、戦費調達の増税を受け値上げした官鉄を尻目に、京浜鉄道は運賃の値下げを実施。戦後には官鉄も値下げで対抗した。平山さんは「当時としてはまだ珍しかった汽車、電車に乗り、ご利益がある川崎大師にも参詣できる。鉄道会社の乗客獲得競争を通して、こうした観光の要素が当時の人々の心をつかみ、『初詣』を定着させていったのです」と話す。
記事の後半では、大師線沿線の駅を訪ね、時代とともに移り変わってきた街の様子などを紹介します。
川崎大師駅から徒歩で8分ほ…