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つやつやと炊きあがった新米
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 お米の品種改良の歴史は社会を映す鏡だ。

 明治以前は、冷害でも実った稲などから種もみを取り、選抜して地域に適した稲を育成してきた。

 明治時代になり、世界で遺伝学の基礎であるメンデルの法則が「再発見」された。同じころ、日本では国立の農事試験場が発足、近代的な育種が始まった。大正に入り、1921年に人工交配による品種のさきがけとして「陸羽132号」が生まれた。

 陸羽132号は、冷害に強い品種と食味の良い品種を掛け合わせた。「雨ニモマケズ」で有名な宮沢賢治の書いた農業関連の書物にも登場し、昭和初めの1930年代の大冷害で強みを発揮した。

 戦後は食糧増産が叫ばれ、県の農業試験場などでも「たくさん取れる」品種が数多く開発された。愛知県の農業試験場で生まれた金南風(きんまぜ)などがその好例だ。

 その後に登場したのが陸羽132号の子孫、ササニシキとコシヒカリだが、その運命は対照的だった。

93年の冷夏が分かれ目に

 63年に宮城県の農業試験場…

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