笑顔を見せる瀬戸内寂聴さん=2010年10月

江國香織さんに聞く⑥

 瀬戸内寂聴さんは晩年、江國香織さん(60)に「死ぬのは怖くない」と語っていた。そんな寂聴さんのことを江國さんは「日本の文学の世界にとって大きな存在」と感じている。なによりも「いろいろ」を越えた笑顔が忘れられない。

  • 連載「寂聴 愛された日々」の第1回「秘書の瀬尾まなほさんが語る 寂聴さんのおちゃめで好奇心旺盛な日常」はこちら
  • 連載「寂聴 愛された日々」のまとめはこちら

 ――最後に会ったのは、いつですか。

 井上荒野さんや角田光代さんと京都の寂庵(じゃくあん)にお邪魔したのが最後です。荒野さんは「あちらにいる鬼」を始める前、角田さんは源氏物語の現代語訳の最中だったので、2人への期待や励ましの言葉が話題の中心でした。

 雑談のなかで「死ぬのは全然怖くない」とおっしゃったことを覚えています。「私が死んだら三途(さんず)の川の向こうに、会いたい人がぜ~んぶ並んでいるの」「みんなと会えるから死は怖くない」

 全部って何人いるんだろ? 全部並んでいたら怖いだろうなあ。あっちの男とそっちの男と色々と複雑そうで、男たちも困るだろうなあと思いながら聞いていました。

 寂聴さんを頭のなかで勝手に想像して「セックスでも何でも書いちゃいなさいよ」と励ましてもらっていましたが、いつか脳内寂聴さんに「死ぬのは怖くないのよ。大丈夫。愛する人と会えるから」と言ってもらえるといいなと思っています。

死は、愛する人がいる世界に行くこと

 ――寂聴さんが死の恐怖を越え、そこまで達観できたのはなぜでしょうか。

 仏教の思想も大きいに違いないですが、おなじ時代を生きてきた人たちの所在じゃないかと思います。年齢とともに親しい人がどんどん亡くなりますから、あの世の方が親しい場所になったのかもしれません。

 「こっちの世界より、あっちのほうに知り合いが多くなった」と、ずいぶんと前からおっしゃっていましたからね。死ぬっていうことは、愛する人、懐かしい人がいる世界に行くという感覚だったんじゃないかと想像しています。

 ――寂聴さんが亡くなったと聞いたときは、どう思われましたか。

 編集者からの電話で知りました。その瞬間、ちょっと無感覚でしたね。年齢を考えても驚くことではない、いつかその日が来ることはわかっていたのに、やっぱり驚くんです。変ですよね。

 寂聴さんの死を聞いたあと、どんどん信じられなくなっていきました。そんなはずはない、寂聴さんは死なないんじゃないか、と。

 1年ぐらい信じられないままでした。今も一部分では信じられていないんですけれど。「寂聴さんなら、どこかで生きている」と思うときがあります。

ありのままに引き受けよう

 ――多くの人に慕われた理由は何ですか。

 もちろん人間性、チャーミングさが大きいと思います。それに、人間の弱さや欲、美しくないところをも直視している肝のすわりかた。

 美しいものをめざしなさいと言うのではなく、人間にはみにくい部分もあり、よからぬ感情を持つ場合もある、と認めていらっしゃるところ。

 ありのままに引き受けよう、ということですよね。なかなかできないことですが、寂聴さんに言われると、自分の存在を許された感じになります。

 ――江國さんにとって寂聴さんは、どんな存在ですか?

江國さんは寂聴さんの笑顔が忘れられません。記事の後半で、その理由が語られます。

 完全に作家、瀬戸内寂聴です…

共有
Exit mobile version