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自分の街を30年前に襲った阪神・淡路大震災を、神戸市の中学生が演じることで伝えていこうとしている。震災を直接知らない世代が自分ごととしてどう表現するか。キーワードは、普通の演劇とはひと味違う「イマーシブ(没入)」だ。
「皆さんは阪神・淡路大震災のとき、何をしていましたか?ぼくらはまだ、生まれていませんでした」
神戸市北区の桜の宮中学校。昨年12月中旬、2年生の約30人が体育館に集まった。この日は台本に沿って実際に演技を練習する日だった。
物語は、神戸市内で開かれている「防災の集い」を生徒たちが案内するという設定。
「地震が起きて、スマホを忘れた!こんなときみなさんはどうしますか」
いきなり、セリフのボールが観客側にわたる。観客も、登場人物の一員だからだ。
観客役になった教員が「取りに戻らず避難するかな」と発言した。台本ではこの部分は空欄になっている。
そのまま避難するか、取りに戻るか。観客たちの選択肢も踏まえながら、物語は進んでゆく。
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「声量は一定に。お客さんの目を見て声を出そう」
子どもたちを指導するのは、演出家の山本知史(ちふみ)さん(45)。これまで全国各地で「観光施設イマ―シブシアター『エンタビ』」を開催してきた。
エンタビの舞台は既存の観光施設で、物語の題材はその街の歴史。演じながら観客を巻き込み、一緒に体験しているような気分にさせる没入型のパフォーマンスだ。
今年度は県立兵庫津ミュージアム(神戸市兵庫区)で観客が兵庫県初の知事である伊藤博文になりきって演じるエンタビを開催。山本さんの活動を知った学校側が持ちかけ、子どもたちへの指導が実現した。
震災をテーマに、山本さんが今回手掛けた演劇のタイトルは「ジブンゴト」。
これまでの授業では当時の避難所運営者に話を聞き、災害の記憶は発生から30年経つと継承が難しくなる「震災30年限界説」などを学んだ。台本の一部はそれらをもとに生徒たちで書いたものだ。
台本には「こんなときはどうする」と観客に問いかける場面もあり、「演じることで自分事になり、考えないわけにはいかなくなる」と山本さん。
周りの人と震災を自分事として話し、前もって準備してほしいという願いを込めた。
昨年9月から山本さんが7回、学校を訪れ演劇を一から指導してきた。
「最初は恥ずかしがっていた子どもたちが、練習を重ねるごとに表情が変わっていきました」
授業を企画した学年主任の松田一彦教諭(36)は演劇が子どもたちに「震災を経験した街の中学生」であることの責任感を芽生えさせたと感じるという。
松田さん自身も6歳のとき、自宅のあった長田区で被災し、親族を亡くした。生徒たちに経験を言葉で伝えることはあっても、一方的に話すだけになってしまうことが課題だった。「30年限界説」を超えるため、「語るだけではない手段を次の世代から発信したい」と企画した。
◇
今年1月19日、本番の日。会場となる三宮センター街(神戸市中央区)近くの広場には通りがかりの買い物客も観客として集まった。
演者と観客が一体となって広場を歩く。揺れが起きると演者にならって観客もうずくまった。
「スマホを忘れた!取りに戻るべき?」
観客にもとっさの判断が求められる。
中には妊婦や外国人など、生徒たちには知らされていない役が事前に割り当てられている客が座り込む場面も。
「大丈夫ですか。サポートするので、一緒に避難しましょう」
生徒たちにも台本にない状況に対処するアドリブ力が試された。
母親と買い物に来てたまたま見つけ、観客として参加した灘区に住む小学5年の柏野心優さんは「街中で地震が起こるとどうなるのか想像できた。実際に起きたときにいかせそう」。
今回の授業で初めて演劇に挑戦したという桜の宮中2年の江角時治さんは「最初は不安だったが、相手の目を見る意識をすると、人前で話すことが得意になった」。震災を知らないさらに下の世代に伝えていく新たな手段を得られたという。
このような「没入型」演劇は、震災の記憶の継承にどのような効果があるのか。
関西学院大学の金菱清教授(災害社会学)は、30年が経って実際に経験した人が半減する中で、没入型の演劇は震災を知らない世代同士が理解を深めるために有効だと話す。
一方で「震災を経験した第一世代が感じた痛みなどの『とげとげしさ』を楽しみながら演じることにどれだけ融合できるかが課題」と指摘した。
子どもたちを指導した山本さんは今後、エンタビを東日本や能登など、他の被災地でも震災の継承手段として広めていきたいという。