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展示されている「岡寺版集帖」=2024年9月10日、愛知県春日井市、富岡崇撮影
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 中国の書を集めることに熱中して散財、ついには裕福だった家が傾いた――。そんなエピソードを持つ江戸時代の書家・韓天寿(1727~95)がまとめた書の本などを紹介する展覧会が愛知県の春日井市道風記念館で開かれている。

 書を学ぶ目的などで作られた、すぐれた書(名跡)の複製本を法帖(ほうじょう)といい、その中でも多種多様の名跡を集めたものを集帖という。いわば書の教科書で、中国では10世紀ごろ、宋の時代に数多く作られた。日本でも江戸時代に「唐様書道」の流行などから、中国の名跡を写した集帖が作られるようになった。

 韓天寿は、今風に言うなら、中国の書のマニアかつ熱心なコレクター。

 道風記念館などによると、韓天寿は1727年に京都で生まれ、その後、松坂(三重県松阪市)の豪商だった中川家の養子となった。「中川長四郎」として中川家が営む両替商の当主になる一方、生家が百済の王の子孫と伝えられたことから「韓」の姓を名乗ったといわれる。また、4世紀ごろの東晋の王羲之らによる書に心酔したため自らを酔晋斎(すいしんさい)と名乗った。交流のあった画家・書家の池大雅(いけのたいが)と画家・儒学者の高芙蓉(こうふよう)ともに富士山などに登ったことから山岳道者(さんがくどうしゃ)とも号していたという。

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