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鶴子銀山の大滝間歩。入り口の前に滝がある=2024年8月3日、新潟県佐渡市、筒井次郎撮影
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 「こがねのしま」。室町時代の能役者・世阿弥(ぜあみ)は、晩年に配流された佐渡島(さどがしま、新潟県)を、著書でこう表した。昔から金を産出した島にこの夏、国内で26件目の世界遺産が誕生した。「佐渡島(さど)の金山」だ。評価された「江戸時代の金生産」の実態を知ろうと、現地を訪ねた。

 新潟港から時速80キロのジェットフォイルで1時間余り。佐渡島の東側にある玄関口、両津港に着いた。

 登録資産は西側の二つのエリアにある。古い順に、砂金を採った「西三川(にしみかわ)砂金山」、そして鶴子(つるし)銀山と相川金銀山(通称・佐渡金山)からなる「相川鶴子金銀山」だ。

 相川金銀山のシンボル・道遊(どうゆう)の割戸や観光坑道は、メディアでよく紹介されている。一方、資産の大半は山の中にあり、情報が少ない。そんな「知られざる世界遺産」を、案内役と一緒に歩いた。

西三川、「大流し」で砂金採り

 まずは西三川砂金山のある笹川集落へ。平安末期(12世紀)の「今昔(こんじゃく)物語集」に登場し、島内にある55の鉱山の中で最も古い。

 安土桃山時代に佐渡を平定した上杉景勝(かげかつ)が、この辺りの砂金を豊臣秀吉に貢納した。毎月、砂金18枚(約2.9キロ、枚は大判1枚分の意味)を上納し、「笹川十八枚村」と呼ばれ、栄えたそうだ。

 海沿いの国道350号から細い山道を3キロ。谷間に笹川集落が現れた。いまは静かな農村だ。

 「ここは金子という名字が多いんですよ」。「笹川の景観を守る会」会長、金子一雄さん(65)が出迎えてくれた。江戸時代に砂金山で働いた人を指す「金児(かなこ)」に由来し、住民の3割が金子姓なのだそうだ。

 一般的な砂金の採り方は、土砂をのせた板を水中で揺らし、軽い土砂を流し出し、残った重い砂金を採る――という個人による作業だ。

 これに対し、西三川では大規模で組織的な手法がとられた。山や谷に水路と堤(ため池)を築き、大量の水を一気に流す。その勢いで山から削った砂金を含む土砂を洗い流し、水路の底に残った砂金を集めた。「大流し」という。

 道沿いには、大きく削られた山の斜面や、削った時に出た余分な石で築いた水路跡がある。相当な労力だったと想像されるが、金子さんは「金に魅せられた人々は、苦労とも思わなかったでしょう」と笑った。

 集落から少し離れた五社屋山(ごしゃややま)には、大規模な大流しの跡が残る。水源から続く導水路、その水をためた堤、そこから水を一気に流した配水路。無数の水路が、わずかな高低差の中に人の手で築かれていた。

記事の後半は、世界遺産「佐渡島の金山」のもう一つのエリア、「相川鶴子金銀山」を訪れます。山奥にある滝の坑道や、探検気分で進む坑道などを紹介します。

 「当時はたいまつの火を使っ…

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