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夜空に広がる星々からの電波を観測する野辺山宇宙電波観測所のパラボラアンテナ=2023年7月11日、長野県南牧村、恵原弘太郎撮影
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 国立天文台の立松健一教授が9月末で野辺山宇宙電波観測所(長野県南牧村)の所長を退任した。7年間の在任中は、日本の天文学への「恩返し」のつもりで働いてきたという。一方で「日本の科学の危機」も感じたと話す。真意を聞いた。(構成・菅沼遼)

チリの高地での巨大プロジェクト

 私の研究者人生は「アルマ」と「野辺山」が2大テーマでした。

 アルマというのは、南米チリの標高5千メートルの高地にあるアルマ望遠鏡のことです。日米欧の国際プロジェクトで2002年から建設が始まり、13年に開所しました。この望遠鏡は、世界初のブラックホールの撮影成功(19年発表)に貢献しました。私はこのプロジェクトに当初から関わり、08~12年にはプロジェクト長を務めました。

 大変な、しかし充実した思い出がたくさんあります。建設地は地球の裏側で、それも市街地から離れた高地。日本から片道で35時間かかります。それを40往復はしました。1年間は現地に赴任もして、多国籍のスタッフと成功に向けて力を合わせました。

 大きなプロジェクトなので、多くの会議が開かれます。ある日、会議後に他の国の参加者から「ケン、何でもいいから話してくれ。プレゼンス(存在感)を見せてくれ」と言われました。

 日本人の研究者は、英語で会話に入れない人が多い。この時の私もそうでした。でも海外の研究者はワイワイと自由に意見を出し合う。日本の代表として参加しているわけですし、そうやって存在を示していくことも大事なのだと教えてもらい、それからたくさん発言をするようになりました。

 13年に完成したときには、大きなプロジェクトを成し遂げた喜びがありました。数多くの当時の同僚は今でも大事な友人です。

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 その後、17年に野辺山宇宙…

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