作家の呉勝浩さん

 毎年のように数十年に一度クラスの災害が起きる。新幹線の連結部分が走行中に外れる。通信障害に巻き込まれ仕事にならない――。便利になる一方の世の中にあって、日常の脆弱(ぜいじゃく)性を実感することも多いのではないでしょうか。

 しかし、作家の呉勝浩さんは「日常はむしろ強固なものになっている」と感じているそうです。社会から落ちこぼれたモンスターを主役にすえた直木賞候補作「爆弾」の続編「法廷占拠」をこの夏に刊行したばかりの呉さんに、現代の日常がどう見えているのか聞きました。

  • ネットで世界中がつながった社会 日常脅かすリスクに立ち向かうには

 毎日のようにいろいろな問題が起きて、たしかに日常は壊れやすくなっているのかもしれません。でも僕は、かえって日常が強固なものになっているように感じるんですよ。

 安倍晋三元首相の銃撃事件のあと、「僕たちは次になにが起きたら本当にびっくりするんだろうか」と考えてみたんです。でも具体的に思い浮かばなかった。

 たいていのことでは自分の日常は変わらない。仮に影響を受けるようなことが起きたとしても、結局それに対して自分が何かできるわけでもない。そんな感覚が根強いように感じます。

 コンビニで弁当の値段が上がったとしても、SNSに文句を書き込んで「いいね」が集まってそれで終わり。抗議などの行動に出ることなく、値上げされた弁当を買うしかないのが普通の人の現実でしょう。

 自分が直接関係のない遠くの街にもし爆弾が落ちて大変な被害が出たとしても、「世界オワタ」という書き込みがSNSにあふれるのを見て安心してしまうところがあると思うんですよね。

 なぜそんなふうに日常が強固…

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