新婚生活の部屋で描いたポスターが1958年に日宣美展で賞をもらって会員になり、そこからバババッと軌道に乗ったんです。デザイナーの田中一光さんとも知り合いになりました。

 美術家・横尾忠則さんが半生を振り返る連載「自在に描き 時代を駆ける」。全5回の2回目です(2024年4月に「語る 人生の贈りもの」として掲載した記事を再構成して配信しました)。

 《59年には、松下電器系のナショナル宣伝研究所に入る。同研究所は翌年、東京に移転》

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 上京してまず、一光さんにあいさつに行ったら、びっくりしていましたが、喫茶店に誘ってくれた。「君は何を飲む?」と聞かれたので、「何でもいいです」って答えたら怒られてね。白黒はっきりさせないと東京ではやっていけない、って。優柔不断なのは今も変わりません。

 その時、こんど日本デザインセンターというすごい会社ができる、と何となく誘う感じで言うんです。僕は意思表示のつもりで翌月、ナショ研を退職。驚いた一光さんが先輩デザイナーの亀倉雄策さんらを説得してくれ何とか入れてもらいました。

 《この間、父が亡くなる》

 親が死んだら世界が消滅すると考えていたのに意外にも、これで自立できるという気にもなりました。

 ようやくデザインセンターに…

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