和歌山県みなべ町にある県立南部(みなべ)高校。2024年12月中旬、「食と農園科」の3年生4人が梅木の剪定(せんてい)作業に取り組んでいた。
「梅の実の重みで枝が垂れ下がる。そこを考えながら剪定してな」。高校の谷口和久農場長(57)の指導のもと、生徒たちが高枝切りばさみなどで枝を切っていく。
「食と農園科」では「農業から食卓へ」を学ぶ。そのうちの1人、横畑光洋(こうよう)さん(18)は「梅をきわめるために南部高校を選んだ。梅の全てを学びたい」と言う。
梅は江戸時代から、みなべや田辺市で栽培されてきた。梅干しは庶民の食卓にものぼり、戦中には兵糧食として重宝された。だが、終戦後、極端に需要が落ち込み、生産量も激減した。食糧難のために梅の木を伐採し、サツマイモを植えた、という記録もある。
町の稼ぎ頭が消える。そんな危機を救ったのが「南高梅(うめ)」だった。1950年、梅の生産を盛り上げようと、「優良母樹」を選ぶ有識者の委員会が発足。南部高教諭を委員長に調査を進め、「高田梅」を最優秀に選んだ。
「高田梅」は明治期、農家高…