将棋の岡部怜央(れお)四段(25)は棋士生活3期目の今年度、対局数1位(46局)、勝数1位(35勝)、勝率4位(.783)、連勝数1位(17連勝)=いずれも15日現在=と各種ランキングで上位を占める活躍を見せている。16日、東京都渋谷区の将棋会館で指された第83期名人戦・C級2組順位戦・佐藤慎一六段(42)戦を前にインタビューをした。山形県鶴岡市で生まれ育った少年時代、棋士を目指した青春期、どんな夢を抱いているのか――。真の輝きを追い求めている25歳の言葉。

 山形の海沿いの町、鶴岡で生まれました。何もない田舎です。

 いや、海はありましたし、山も見えていたのかな……。

 あんまり風景を見たり、夜空の星を見上げるようなタイプじゃないので、どうだったんですかね。

 でも、先日も帰郷したばかりなんです。

 静かで落ち着きますね。

 よく遊んだ公園が変わらずにあるのを見たりして。

 田舎者なので、いつかまた戻ってきて暮らしたいなあ、みたいなことを考えました。

写真・図版
岡部怜央四段=2024年11月26日午後4時20分、東京都渋谷区の将棋会館、北野新太撮影

 《1999年4月生まれ。小学1年の終わりごろに将棋と出会う》

 祖父と2歳上の兄(寛大=かんた=さん)が将棋を指しているのを横から見て「あ、僕もやりたい」ってたぶん言ったんですよ。

 全員初心者です。角が成ると金になる謎ルールで「あれ? 角だけ敵陣で機能が劣化してない?」って幼心に思いました(笑)。さすがに。

 すぐに将棋を好きになりました。初めは習い事のひとつで、他にも水泳や陸上、テニス、ピアノ……いろんなことをやっていましたけど、ひとつずつ減っていって将棋だけが残りました。

 親が見つけてくれた将棋教室に通うようになって、土日になると車で送り迎えをしてもらって……。ええ、田舎は車がないと何もできないんです。

 もともと「ニンテンドーDS」とか「ゲームボーイアドバンス」とかでゲーム類は好きだったのと、将棋は大人に勝てることが楽しかったんです。

 《小学3年、ある一局が転機になった》

 子供大会(全国小学生倉敷王将戦山形県大会)でなぜか決勝まで行けたんです。相手は天童(駒の産地として知られる天童市は将棋の盛んな土地柄)の強い子で、僕なんか勝てるわけがなかったんですけど、たまたま相手の二歩(反則)で勝ってしまって優勝したんです。全国大会に出る、ということはどんな競技においてもなかなかあることじゃないよな……と子供ながらに思いました。

 そして、いつかは棋士になりたい、と思うようになりました。

 どうしたら棋士になれるかも…

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