今夏、チームを全国4強に導いた青森山田のエース関浩一郎は、背番号「10」をつけて救援した=2024年10月6日、さがみどりの森、大坂尚子撮影

 (6日、国民スポーツ大会1回戦 関東第一6―3青森山田)

 3年間、切磋琢磨(せっさたくま)してきたライバルであり親友が背番号「1」を背負ってマウンドに立つ姿を、青森山田の関浩一郎はベンチからじっと見つめた。

 「なんかすごい誇らしいなって。投げているところを見るだけで泣きそうだった」

 先発マウンドにいたのは桜田朔(さく)。下級生から活躍し、昨秋の東北大会決勝でノーヒットノーランを記録した右腕だ。関とは「ダブルエース」として、チームを今春の選抜大会8強に導いた。

 ただ選抜後は心理的な重圧などで体が思うように動かせなくなる「イップス」に陥り、登板機会は減った。

 このころから2人の関係は、少し変わった。自主練習や白米を食べる量で競い合ってきたが、互いを助け合うようになった。

 きっかけは関のふとした助言。そこから、野球に関する会話が増えた。桜田が投球する様子を、関が後ろからスマホで撮影した。動画を見ながら改善点を話し合う時もあった。

 4強入りした今夏の甲子園。復調の兆しはあったが、桜田の登板は3回戦の1イニングだけだった。関は3試合を投げ、エースとして引っ張った。準決勝では泣き崩れる関の肩を、桜田が抱いて励ました。

 甲子園で終わりだと思っていた2人の高校野球生活は、国スポに出場したことで少し延びた。大会前、関はある決意を胸に兜森崇朗監督の元へ向かった。

 「最後は朔に1番をつけて投げてほしいです」

 春夏の甲子園でも背番号「1」をつけたのは関だった。国スポでも自分が1番をつけたい気持ちは当然あった。

 それでも、「ずっと一緒に練習して、1番近くで見てきた。朔が1番をつけたい思いも、聞いたことはないけれど感じていた」。それが監督への直談判につながった。

 兜森監督も「前回大会(夏の甲子園)は満足に投げることができなかった。頑張ってほしいという思いも込めた」と、桜田に背番号「1」を託した。

 この日、先発の桜田は2回を被安打7、4失点で降板。関は4番手で六回から登板して4回を被安打3、2失点。ともに相手の4番に一発を浴び、チームは敗れた。それでも関は「勝ち負けじゃなく、野球を始めた小学校の頃みたいに、(純粋に)野球を楽しめた」と振り返った。

 ただ、ライバルの話を振られると大粒の涙があふれた。「(桜田の背番号1をつけた姿は)似合っていた。3年間お疲れさま、本当によく頑張ったなと言いたい」。お互いの存在があったから、成長できた。(大坂尚子)

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