祖母と話す少女=イラスト・小佐野有紀

シンクタンク研究員・小佐野有紀さん寄稿

 「『わたし、ヤングケアラーって言っていいのかな?』っていう思いがあったんですよね。わたし自身がそんなに重いケアをしていたわけではないから」

 病気や障がいのある兄弟姉妹がいる人、認知症の家族と暮らしていた人、日本語以外を主言語とする家庭で育った人……この3年間、ケアに関する研究・取材活動を行うなかで、筆者は冒頭のような言葉をぽつりともらす若者に度々出会ってきた。ケアが織り込まれた日常を生きてきた、けれど、自分が「ヤングケアラー」なのかはわからない。この記事では、そんな割り切れなさを抱えるこども・若者たちへのインタビューを通じて、何が彼らを「ヤングケアラー」という言葉から遠ざけているのか考えてみたい。

「犠牲」がないと名乗れない

 Aさん(20代後半)は、小さいころから、知的障がいとてんかん発作がある兄のことを度々ひとりで見守ってきた。友達と遊ぶ時間を制限されるなどの影響はあった、と振り返るAさんだが、「自分が世の中のヤングケアラーのイメージに当てはまるかと言われると、違うような気がする」そうだ。

 「世間一般が持つヤングケアラーのイメージは、『こども自身が主たる介護者であるために、生活に支障が出ている』っていう感じかなと思う。でも、兄の主たる介護者は親だったので、私自身の学校生活に支障が出たことはなく、自由な時間が無くなったわけでもない。犠牲になっているものがない自分は、ヤングケアラーを名乗ってはいけないんじゃないか……」

 一方で、Aさんは「ヤングケアラーという存在に、いわゆる『重め』以外のケアを担ってきた人も含まれるといいな」とも語っていた。

 「そもそも、『ここからここまでがヤングケアラーです』とガチッと決められるものではないと思う。『私もヤングケアラーに当てはまるのかな?』と思える人が増えるような、当事者のこどもが支援やサポートにアクセスしやすい体制を整えてほしい」

否定されることへの抵抗感

 海外出身の両親を持つBさん(20代前半)は、小さいころから日常的に会話の通訳や書類の翻訳を行ってきた。それに加え、1年ほど前に母親が母国への一時帰国を余儀なくされたことにより、現在ではフルタイムの団体職員として勤務しながら、日用品・食品の買い出しや食事作り、一番下のきょうだいが通う学校との面談なども担っている。

 Bさんは、「仕事が終わったら慌ただしく料理を作り、食事が終わればお風呂に入る時間、みたいな感じで、『今日はなにもできなかったなー』と思うことが多い」と語っていた。それでも、自らヤングケアラーを名乗ることには違和感があるという。

 「『ヤングケアラーだよね』と言われたら否定はしないけれど、責任に押しつぶされているか、すごく大変かと言われたらそこまでいかないので。それに、相手にどんなことをしているのか聞かれて答えたときに、『え? それだけでヤングケアラーだと思っているの?』という否定的な反応が返ってきたら……」

 その根底には、自らの経験を一面的にジャッジされたくない、という抵抗感があるのかもしれない。

役所の手続きで親の通訳を務める青年=イラスト・小佐野有紀

ケアの「程度」めぐる議論

 こども・若者の具体的なケア経験が明らかにされると、第三者から、「お手伝いとヤングケアラーの違いは何か」「それは本当にヤングケアラーと言えるのか」という疑義がはさまれることがある。

 学術分野では、ケアの過程や結果についてこども・若者が責任を負う形になっていないか、ケアにより学業やその他やりたいことが圧迫されていないか、そして何より「ケアしない権利」が認められているか、などが線引きのポイントだとされている。

 ただし、ヤングケアラーの実情に詳しい立命館大学産業社会学部教授の斎藤真緒氏は、2022年に行われた講演で、「最近この線引きを、きっちりやってしまうことには大きな落とし穴があると思うようになってきた」と指摘した。そして、病気や障がいのある兄弟姉妹がいるケースを例に挙げ、そのすべてがヤングケアラーに当てはまるわけではないとしつつ、「家庭の中にケアがあることで、きょうだいたちはさまざまな余波を受けている」と語った。

 「ケアラーでいることのつら…

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