写真界の権威とされる日本写真協会賞の表彰式が6月3日、東京都内である。今年の学芸賞に選ばれたのが「寺崎英子写真集刊行委員会」だ。宮城県の山あいで暮らし、広く知られることのないまま世を去ったひとりの女性の名が、写真史の片隅に刻まれることになった。
寺崎英子(1941~2016)。
旧満州で生まれ、細倉鉱山(現・栗原市)の街で育つ。幼い頃に脊椎(せきつい)カリエスを患い、学校に通えたのは小学2年生まで。大人になっても身長130センチほどで、家業の食品店を手伝ったが、病弱だった。
86年の鉱山閉山発表を機に写真を始め、ヤマの最後と人々が去ってゆくさまを、10年余にわたってカメラに収めた。だが、ネガの大半はプリントされないままで、写真家として評価されたことはなかった。
死の半年前、彼女は、それまで数回会っただけの仙台市の写真家、小岩勉さん(62)に「印税はいらないから、これで写真集をつくって」と、菓子箱や缶に入った膨大なネガを託す。初め戸惑った小岩さんは、その作品にひきこまれ、仲間と時間をかけて整理。昨年春、写真集の出版にこぎつけた。
いきさつを聞き、私もまた彼女の写真に魅入られ、何度か記事にした。
一部のネガ、新聞社のケースに 記者に撮り方学ぶ
気になったのは、寺崎さんと…