野木亜紀子さん=本人提供

 連続爆破事件から物流や労働、消費社会の問題をあぶり出した映画「ラストマイル」をはじめ、現代社会の様々な課題をエンターテインメントに織り交ぜ、次々とヒット作を送り出す脚本家の野木亜紀子さん。「社会派」と評されることに本人は「私くらいで『社会派』と言われたら……」。むしろ、そう位置づけられることに、いまの日本社会、エンタメにおける課題を問い返す。注目の脚本家は、時代をどう捉え、どのような作品を生み出そうとしているのか。

先の見通せない不確かさに覆われた時代をどう生きていくのか、社会と向き合う人たちに語ってもらった。

――不確かな時代とも言われますが、様々な形で社会を描いてきた野木さんに、今の時代はどう映っていますか。

 誰も追いつけないほどに情報の速度が上がっていると感じます。知性であり美徳であった「思慮深さ」が、今の世界の情報のスピードとどんどん相反するものになっているように思います。情報を精査したり何を言うべきか考えたり、思慮深くあればあるほど時間がかかる。でも、そうではない情報ほどあっという間に拡散して、「言ったもん勝ち」の世界になってしまっているのではないでしょうか。

 2018年に「フェイクニュース」というドラマを作りました。SNSの投稿をきっかけに人々が感情的になり、事態が思わぬ方向へと拡大するという話です。どんどんファスト社会になって、この流れはなかなか止めようがありません。思慮深く正確さをもって、その上「速く」発信しないと、どんどん間違いや噓(うそ)が広がります。情報が間違っていると〝正しさ〟もひっくり返ってしまいます。そのせいで取り返しのつかないことが起きてしまう。

 当時は「ポスト・トゥルース」という言葉もさかんに語られていましたが、さらに進んで、間違いや噓が世界を動かしているように見えます。

 本当に不確かな時代になってしまった、と思います。

――作り手として、そうした時代にどうあらがうか、意識していることはありますか。

 ドラマでも映画でも出す以上は変なものを作りたくないというのはもちろんありますし、SNSのようにすぐ出すものではないので、できる限り思慮した上で出しています。

 ただ、エンターテインメントと社会性のバランスには常に悩まされています。制作費が少なくなる一方、コンテンツがあふれ、「つらいものを見たくない」「説教めいた話は聞きたくない」といった風潮がある。エンタメは見るけどニュースは見ない、という人もいる。

 楽しいのはもちろん大事だけど、それだけになっていいのか。でも、あまり社会問題に特化した作品にすると、初めからその問題に興味がある人しか見ないことも多く、それはそれで分断を生む。作り手としても非常に難しい時代だなと思います。

今のドラマに求められるのは…

――そんな困難な状況の中でも野木さんは、社会の課題を盛り込みながらエンタメで伝えるという点を大事にされていて、「社会派」と言われることも多いかと思います。

 なるべくバランスを取りながらやりたいと思う。でも、私くらいで「社会派」と言われたら、韓国映画やアメリカのマーベル作品のような超娯楽作はどうなのか。当たり前に政治や社会的な視点が入っています。日本だけですよね、ほんのちょっとしたことでそう言われるのって。

――どうしてだと思いますか?

 かつてはそんなことは言われ…

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