記者36年 余命宣告【後編】
2010年4月、48歳で前立腺がんと診断された私は、前立腺を全摘することになった。摘出すると、射精ができなくなる。私の場合、子どもは2人いて、生殖機能にこだわる年齢でもない。「ですが、手術によって勃起神経も切断される可能性が高い」と医師は言う。
しかも尿道付近の筋を傷つけるため、「尿漏れ」対策も24時間続けることになった。おむつのように紙パッドをあてるのだが、1日に何枚も交換しないといけない。特に夏場は汗もかきやすく、蒸れや肌荒れにも要注意だ。
性の営みは人間の本能に根ざすこともあり、勃起神経を残す人もいる。だが私のがん細胞は顔つきが極めて悪い。いろいろ悩んだが、神経も切断することにした。別の病院でのセカンドオピニオンを受けた後も、同じ結論だった。
この年の10月、前立腺を全摘した。麻酔から覚めると、主治医の表情が険しい。
「摘出した前立腺を調べたところ、やはりがん細胞は前立腺の外に浸潤していました」
膀胱など近くの臓器に染みていたため、さらなる処置を続けていくことになった。
まず始めたのが放射線治療だ。摘出手術から1年後、患部に放射線をあてる治療を始めた。痛みは伴わないが、毎日ほぼ同じ時刻に1カ月間、仕事を抜け出すのが結構大変だった。
「患部に放射線を集中するピンポイント照射や、線量に強弱をつけて照射する、精度の高い手法が可能になりました」と主治医は言う。
ホルモン治療、胸がチクチク
薬によるホルモン治療も始まった。男性ホルモンの分泌が多いと進行が進む前立腺がん。分泌を制御することで、がんを小さくするのが目的だ。だが副作用に悩まされた。おっぱいが下着とこすれ、チクチク痛みを感じるほど張った。自分が女性になったような気がした。
「あまりにも痛ければブラジャーをしておっぱいを保護して下さい」。医師からそう言われたが、抵抗感があった。胸の痛みを我慢する日が何年も続いた。
12年からホルモン治療の薬を毎日飲むようになった。だが副作用の一つ、首筋など体の一部が急に熱くなる「ホットフラッシュ」に悩まされた。
特につらかったのが夏場。職場の机の下でサーキュレーターを常時作動させ風を浴び、暑さをしのいだ。21年から群馬の前橋総局に単身赴任となり、月に一度、電車を乗り継いで東京の病院まで通う日が続いた。
がんは遺伝子の異常で起きる病気で、細胞の「老化」も関係するという。とはいえ、50歳を前に前立腺がんなんて早すぎないか。主治医の説明では、食生活などは「発生に関連している」という程度しか分からない。要は、決定的な原因は分からないのだ。
正直に告白しよう。アダルトビデオを見て何度も試したが、性欲は頭の中でムラムラ起きても、勃起しない。自分が自分なのに、自分でないような違和感。心と体が引き裂かれるような感覚というべきか。エッチな夢を今も見ることがあるが、「ハッ」と目が覚めると、自分が病気だという事実に愕然とする。「バカヤロー!」と叫んでしまった夜もあった。
今年1月に全身の骨などへの転移が分かり、2月下旬からは、3~4週に1回のペースで抗がん剤「ドセタキセル」を使ってきた。前立腺がんについて日本では08年に使用が承認された。4月、3回目の投与後、腫瘍マーカーPSA(前立腺特異抗原)の数値が落ち着いた。安心したのもつかの間、その次は再び上昇に転じた。
「やはり駄目か」
5回目の投与は6月11日…