タンタンに餌をあげる当時の飼育係長の安田伸二さん=2001年ごろ撮影、安田さん提供
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 神戸市の安田伸二さん(74)が大切に保管している手帳がある。

 2000年7月16日に「P 受け入れ 16:20出発」とのメモが残る。Pは、パンダの頭文字。中国からやってくる2頭を迎えにいく日だった。

 当時、安田さんは神戸市立王子動物園の獣医師で飼育係長だった。関西空港へ向かい、輸送用トラックに2頭をのせた。中国から来た獣医師らはトラックとは別の車に乗ったが、安田さんは心配でパンダと一緒に輸送車の貨物部分に1人乗り込んだ。

 「丸っこいパンダ」と「体の大きいパンダ」。それが第一印象だ。

 2頭はおとなしく座ってこちらを見てきた。安田さんは不安で立ったり座ったり落ち着かなかった。隠し持っていたリンゴをあげると食べてくれた。動物園まで車で1時間ほどのはずが長く感じた。小さな窓から六甲山が見えたとき、ようやく安心した。

 2頭が来る5年前に阪神・淡路大震災が起きた。そのとき、神戸市灘区にある王子動物園は臨時休園した。園内は自衛隊の活動拠点になり、ホールは遺体安置所になった。営業を再開できたのは約2カ月後だった。

 パンダを誘致する計画は、震災前からあった。

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 震災で一時中断したが「被災地に明るい話題を」と、1998年ごろから再び計画が動き出した。安田さんは、環境庁(当時)など関係機関との調整に奔走。そして、中国・四川省の臥龍(がりゅう)ジャイアントパンダ保護研究センターから2頭が貸し出されることに決まった。

 メスの「丸っこいパンダ」は21世紀の幕開けにちなみ「タンタン(旦旦)」、オスの「体の大きいパンダ」は震災復興の願いを込めて「コウコウ(興興)」と名付けられた。2頭は瞬く間に人気者になった。2000年の来園者は、前年比100万人増の198万人だった。

 安田さんは当初、タンタンたちが少し怖かった。

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