デモクラシーと戦争④ 「サラエボ」の教訓は語る
開戦の30年前。最初の世界大戦をもたらした「勢い」があった。
「欧州各国の為政者がそれぞれ失政を積み重ね、第1次世界大戦を導いてしまった」。小原淳・早稲田大教授(ドイツ近現代史)はそう話す。英仏ロとの戦争に陥っていく状況に、ドイツ宰相ベートマンホルベークは「人知を超えた巨大な運命」を感じたという。昭和天皇が「勢い」を前に感じた無力感に通じるものがある。
はじまりは、2発の銃弾だった。
1914年6月28日。ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで、この地を治めていたオーストリア=ハンガリーの皇位継承者と妻が暗殺された。犯人はセルビア人の青年だった。オーストリアはすぐ、セルビアと戦う準備を始める。
欧州には同盟の網が張り巡らされていた。セルビアを支えるロシアは英仏と同盟関係にあった。一方、オーストリアはドイツと同盟を結んでいた。オーストリアとセルビア両国の戦争は各国を巻き込む危険があった。
しかし、まだ「当時の欧州で世界戦争を予測した指導者は少なかったでしょう」と小原氏はいう。
ドイツはオーストリアに全面支援を約束する。だが、これは他国が干渉する前に局地戦で事態を収拾したかったからだという。皇帝ウィルヘルム2世は大国間の戦争は避けたいと最後まで考えていた。
ロシアはいち早く動員を準備する。しかし、皇帝ニコライ2世は動員を進めながら撤回も模索。側近たちは振り回された。
英国はそもそも戦争に消極的だった。大陸での争いよりアイルランドの独立問題の方が大きな懸案だった。
戦争を決意したオーストリアですら、セルビアへの宣戦布告は暗殺事件の1カ月後だった。総動員も遅れた。戦争の範囲をなるべく限定するつもりだったという。
100年をたどる旅―未来のための近現代史
世界と日本の100年を振り返り、私たちの未来を考えるシリーズ「100年をたどる旅―未来のための近現代史」。「デモクラシーと戦争」編第4回では、前回(第3回)に続き、戦争へと向かう大きな「勢い」に直面した20世紀の為政者たちの行動と思考をたどります。
「自分たちがもたらす現実になおも盲目だった」
それでも世界大戦となった。なぜか。
小原氏は「経験の欠如」をあ…