タイのスラムに暮らし、貧しい家庭の子どもたちの教育支援に尽力した日本人男性が、今月亡くなった。公益社団法人「シャンティ国際ボランティア会(SVA)」理事の八木沢克昌さん。66歳だった。40年以上にわたり、貧困や差別に苦しむ子に寄り添い続けた。
八木沢さんは1980年代からSVAのタイ、ラオス、カンボジアの各事務所長やミャンマー難民事務所長を歴任。子ども図書館の運営や少数民族などへの教育支援に取り組み、2006年には日本の外務大臣表彰を受けた。
7日朝、バンコクの自宅で倒れているのが見つかり、病死と確認された。
親交のあった人たちからは、悼む声が相次ぐ。
「私の知識と能力を信頼していると言ってくれ、いつも一歩踏み出すチャンスを与えてくれました。あらゆる学生の夢を尊重し、進学後も声をかけ、心配し続けてくれました」。スラムで育ち、SVAなどの支援を受けてタイ最高峰のチュラロンコン大学に進学したワヤコーン・ウマさん(19)は八木沢さんへの感謝と喪失感を語った。「勉強や人生において、精神的な支えでした」
外交官になった女性 「人生導いてくれた」
バンコクでスラムの子どもを支える「ドゥアン・プラティープ財団」に勤め、20年以上の交流があるブンマ・ローディーさん(50)は「日本人らしく勤勉に、社会のために働き続ける姿を見てきました。病気になっても、仕事に全力でした。彼の能力と人柄があれば、これからも多くの人に幸せをもたらせたと思う」と残念がった。
東南アジアでは、急速な成長の陰で貧富の格差が深刻化してきた。周辺国で暴力や差別にさらされ、逃れた先のタイで低賃金の過酷な生活を強いられる移民労働者も多い。経済的な理由で進学を諦める子も少なくない。
バンコク最大のスラムといわれるクロントイ・スラムに長く住んだ八木沢さんは、こうした人々の現状を発信し続けた。
日本の学生や記者が訪ねて来れば、スラム内部の案内役を務めた。自身の信条「ミッション、パッション、ドリーム」の頭文字をタイトルに、朝日新聞GLOBE+でアジアの今を伝えた連載「ミパドが行く!」は18~20年で12回に上った。
スラムで育ち、SVAの図書館との出合いがきっかけでタイの外交官となったオラタイ・プーブンラープ・グナシーラン氏らの活躍を挙げ、「子どもたちが理不尽に選択肢を奪われることなく、好きなことに努力できる環境をつくることが大切」と、よく語っていた。
そのオラタイさんはいま、中央アジア・カザフスタンの首都アスタナのタイ大使館で、臨時代理大使を務めている。八木沢さんの逝去に接し11日、朝日新聞の取材にコメントを寄せた。「スラム街で生まれ育ち、多くの困難を抱えた少女がタイの外交官になり、祖国に奉仕できるなんて誰が想像したでしょう。教育の力を信じ、人生をよりよいものにしようという強い意志を持った八木沢さんの行動がなければ、私はこれほど多くのことを成し遂げることはできなかった」と、これまでの歩みを振り返った。
そして、こう続けた。「私たちにはごく短い人生の中で、どんなことをし、何を成し遂げるかを決める力と自由があります。八木沢さんは、教育によって他者の人生をよりよいものにすることに人生を捧げました。私の人生を導いてくれた人として、心の特別な場所にいつまでも生き続けるでしょう」