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2019年5月、パリで演説するジャンマリ・ルペン氏=ロイター
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 フランスの極右政党「国民戦線(FN)」を創設したジャンマリ・ルペン氏が7日、死去した。96歳だった。仏メディアが一斉に伝えた。人種差別や排外主義的な主張を重ねながらも、既存政党や欧州連合(EU)への国民の不満をすくいとって大統領選で躍進するなど、欧州で台頭する右翼の先駆けになった。

 AFP通信によると、ルペン氏は7日正午、パリ郊外の施設で親族らに囲まれて息を引き取った。死因は明らかになっていないが、一昨年に心臓発作を患ってからは健康状態を悪化させ、入退院を繰り返していた。

 ルペン氏は1928年、仏西部ブルターニュ生まれ。パリで政治や法律を学んだ。アルジェリア戦争などに従軍し、72年にFNを創設した。反共産主義、反移民などを掲げ、当初は「ネオナチ政党」とも呼ばれた。

 演説では、独特のだみ声で政財界やマスコミなどを軒並み罵倒するスタイルで知られた。EUが進めたグローバル化で、労働者や農家が犠牲になったなどと訴えて支持を拡大。2002年の大統領選では現職のシラク大統領と決選投票を争った。しかし、仏社会ではルペン氏への嫌悪感から抗議デモも広がり、大敗した。

 11年には党首の座を三女のマリーヌ・ルペン氏が継いだ。マリーヌ氏は「脱悪魔化」路線を掲げて「普通の政党」へのイメージチェンジを進め、FNの大衆化を加速。18年6月にはより広い層の支持を得ようと党名を国民連合(RN)に変更した。

 一方、ジャンマリ氏は15年、ナチスによるガス室でのユダヤ人虐殺を「ささいなこと」とする従来の主張を繰り返し、自らがつくった党を除名された。欧州議会議員としても活動し、折に触れてメディアにも登場したが、晩年はマリーヌ氏の存在感が高まり、表舞台から遠ざかっていた。

 仏大統領府は声明でルペン氏について「70年近くにわたって公的な場で役割を果たしてきた」とした上で、「その役割は今後、歴史の審判を受ける」と表明した。

 RNのバルデラ党首はX(旧ツイッター)で「常にフランスに仕え、フランスのアイデンティティと主権を守ってきた」とルペン氏の死を惜しんだ。

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