群馬大学准教授・高井ゆと里さん寄稿

 米国大統領に就任したドナルド・トランプは、初日から多くの大統領令に署名した。その一つが「ジェンダー・イデオロギーの過激主義から女性たちを守り、連邦政府に生物学的な真実を取り戻す」と題された大統領令である。

 トランスジェンダーの存在そのものを否定するこの大統領令は、言葉のうえでは「女性を守る」としているものの、その背景には「ジェンダー」を「イデオロギー」として敵視し、女性や同性愛者の権利を脅かそうとしてきた積年の右派運動が存在する。その運動の歴史をたどりつつ、大統領令が真に意味するところについて考えたい。

2025年1月18日、米ワシントン州で、トランプ大統領の就任式を前にレインボーフラッグを掲げるデモ参加者=ロイター

背景に「反ジェンダー運動」の歴史

 大統領令の表題にある「ジェンダー・イデオロギー」とは、研究者やジャーナリストが「反ジェンダー運動」と呼んできた右派政治運動で、広く用いられてきた概念である。

 反ジェンダー運動の歴史は1990年代中盤にさかのぼる。

 当時、国連の人口開発会議(カイロ会議、94年)や第4回世界女性会議(北京会議、95年)といった国際会議を通して、女性の人権としての「性と生殖に関する健康と権利(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ:SRHR)」が国際社会でも承認され始めていた。そしてそれは、フェミニズムの運動や理論を通して鍛え上げられてきた「ジェンダー」の概念が、女性に対して抑圧的な社会構造を指すための概念として、国際的に使われ始めるタイミングでもあった。

 女性や男性がもつ典型的な身体の特徴には、たしかに違いがある。しかしそうした「セックス(sex)」の違いがあるとしても、だからといって、女性は男性のみと性交渉すべきだとか、妊娠して子どもを産むべきだとか、そういった「べき」がそこから導かれるわけではない。にもかかわらず、そうした「べき」――すなわち性別にまつわる社会的期待――が文化・慣習・制度・経済・法律のなかに埋め込まれ、社会で「女性であること」や「男性であること」のリアリティーに深く影響を及ぼしている。このように、性別をめぐる社会的な構築物の存在を捉え、性差別を解消するための強力なツールとして、フェミニズムは「ジェンダー」の概念を鍛えてきた。

 女性や(女性を含む)性的マイノリティーが、性と生殖の健康と権利(SRHR)を取り戻す闘いにとって、「ジェンダー」の概念は大きな役目を果たした。どんな身体に生まれようと、性や生殖について、ひとりひとりには自分で決める権利がある。「あるべき家族」のなかで、社会が期待する性や生殖の役目を強いられるべきではない。あるべき性行動や、あるべき生殖のありかたを「セックス」から一元的に決めようとする「生物学的決定論」から人びとを解き放ち、SRHRを取り戻す闘いは、他でもないジェンダー平等を求める闘いでもあった。

 しかし、SRHRが国際社会の承認を得ていったこのプロセスは、中絶を「罪」と捉える宗教右派や、人権教育としての性教育を「文化を壊す過激なもの」と捉える保守勢力にとって、大きな衝撃として受け止められた。そうして彼らは、SRHR(なかでも中絶へのアクセス)を抑止するための運動を国際的に展開し始める。

 攻撃の矛先は「ジェンダー」の概念そのものに向かった。「ジェンダー」の概念によってフェミニズムや性的マイノリティーの権利運動が勢いを得ているのだから、「伝統的な家族」の価値を重んじる彼らがそこに焦点を当てるのは必然でもあった。こうして始まったのが「反ジェンダー運動」である。

「道徳を腐敗させる」「男女の境界をなくす」

 反ジェンダー運動の旗手は…

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