襲撃事件が起きた当時に週刊紙「シャルリー・エブド」の本社があった建物に飾られた犠牲者の肖像画=2025年1月7日、パリ、マチュー・ボノム撮影

 イスラム教の預言者の風刺画を掲載したフランスの週刊紙「シャルリー・エブド」がイスラム過激派に襲撃された事件から7日で10年を迎えた。編集部が入っていたパリ市内の建物の前では追悼式典が開かれ、犠牲者の遺族や同僚のほか、マクロン大統領ら政府関係者が黙禱(もくとう)した。

 事件が起きたのは2015年1月7日。アルジェリア系フランス人の兄弟2人が同紙の編集部を襲撃し、編集者や風刺画家ら12人を殺害した。同月9日にかけては、仲間の男がユダヤ系食材スーパーなどを襲撃し、5人が犠牲になった。

 実行犯の3人はいずれも治安当局との銃撃戦で死亡したが、シャルリー・エブドの襲撃は同紙がイスラム教の預言者ムハンマドを揶揄(やゆ)する風刺画を掲載したことへの報復が動機とされ、仏国内外で「私はシャルリー」の合言葉とともに表現の自由の保護を訴える動きが広がった。

 追悼式典では、亡くなった一人ひとりの名前が読み上げられた後、遺族や編集部の同僚、マクロン氏らが花束を捧げた。近くに住むヤニック・ルエさん(67)は「事件が起きたことで、表現の自由は壊れやすいものだと実感した。風刺画を掲載する新聞は減っている。自由は守らなければなくなってしまう」と危機感を口にした。

 シャルリー・エブドは事件後…

共有
Exit mobile version