設置された記念碑の前で、鈴木浩・駐インド大使(中央左)に説明するナガランド州のリオ州首相(中央右)ら=2024年5月8日、インド北東部ナガランド州コヒマ、石原孝撮影
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 第2次世界大戦中、インド北東部インパールの攻略を目指した日本軍が英国軍と戦闘を繰り広げたコヒマの地で8日、日本軍の兵士らを悼む記念碑の落成式が行われ、地元のナガランド州政府や日本政府、企業の関係者らが参加した。

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 丘陵地帯に設置された碑は、地元の州政府が日本大使館と協議して設置。「鎮魂」と日本語で刻まれた。リオ州首相は式典で、「平和と人類愛が育まれ、重要で画期的な日となった」と述べ、日本との関係強化を訴えた。鈴木浩・駐インド日本大使らも献花し、周辺をエコパークとして整備していくと語った。

 日本軍は1944年3月、インパール作戦を開始。ビルマ(現ミャンマー)からインパールの北方にあるコヒマを一時的に占領した。だが、武器弾薬や食料の補給を軽視したことなどで、英軍の反撃を受けて撤退に追い込まれた。

 作戦自体は同じ年の7月に中止されたが、参加した日本軍の兵士約10万人のうち約3万人が死亡したとされ、飢えや病気に苦しむ人も相次いだ。多数の遺体が残された道は「白骨街道」とも呼ばれた。

■コヒマで戦った親族に思いは…

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