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写真①「ふれる。」のメインキャラ3人。左から優太、秋、諒 ©2024 FURERU PROJECT

 10月4日公開の長井龍雪監督のアニメ「ふれる。」は不穏な映画です。公開中の山田尚子監督「きみの声」(9月2日の本欄「やさしい『きみの色』の謎を山田尚子監督に聞く」参照)が終始穏やかなのと対照的に、ザラつき、ギスギスし、痛みが走る。それは大胆で巧みなテーマ設定ゆえですが、問題はクライマックスのスペクタクルがカタルシス(浄化)にまでいたらず毒が消えないこと。重い。胃が重い。

  • やさしい「きみの色」の謎を山田尚子監督に聞く

 「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「心が叫びたがってるんだ。」「空の青さを知る人よ」の黄金トリオ、監督の長井さんと脚本の岡田麿里さんとキャラクターデザイン・総作画監督の田中将賀さんによるオリジナル長編。同じ島で育った秋と諒と優太の物語ですが、幼いころ出会った不思議な生きもの「ふれる」の力によって、互いの体に触れればテレパシーのように心の声が聞こえてくるという設定です。この「ふれる」のヒネり方が最大のポイント。

 よくある物語なら、性格や境遇の違う男の子3人を「ふれる」が結びつけ、不思議な冒険を通じて絆を深め成長して最後は「ふれる」と別れる――といったジュブナイルになりそうですが、本作は20歳になって上京しても「ふれる」をこっそり連れて来て、高田馬場の古い平屋で3人+1匹の共同生活を始めるところからが本筋です。おいおい、ドラえもんとは子ども時代で別れた方がいいぜ。

 秋はバーのバイト店員、諒は不動産会社の新卒社員、優太はファッション系の専門学校生。その3人が手と手を重ね気持ちを確かめ合い、「俺たちは一緒、これからも一緒」。子どもならほほえましい友情の儀式ですがこのトシになると、ちょっとアヤしいというか「ホモソーシャル感」がツンと鼻をつくというか。わずかに違和感をまぶすこのへんの塩梅(あんばい)はうまいです。

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「ふれる。」から、手を重ねて互いの気持ちを確かめる3人

 秋たちがひったくり犯を捕ら…

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