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四国独立リーグ・高知の入団会見で、ユニホーム姿を披露した藤川球児=2015年6月、高知市
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 プロ野球・阪神タイガースの藤川球児・新監督(44)が誕生しました。現役時代は「火の玉」と例えられた快速球でならし、引退後は理知的な解説でファンをうならせました。その野球観はどうやって磨かれたのか。ゆかりの人たちの言葉から「藤川監督」に迫ります。

 阪神の藤川球児監督(44)は現役時代、日本を代表する抑え投手として2013年から大リーグに挑戦し、結果を残せないまま3シーズンで日本に戻った。新天地に選んだのは独立リーグの四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスだった。

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 日本野球機構(NPB)に所属する球団への復帰を前提に、15年6月に入団に合意。「高知の野球人口が減っていることも知っていたので、バリバリできる時に、高知の子どもたちに夢を見てもらいたい」というふるさとへの思いもあった。

 NPB入りを志す若手が多く集まる独立リーグ。当時、藤川の加入は刺激を与えるものだった。

 「若手たちともよく話をしてくれた。彼を目当てに球場が満員になって、若い子たちは経験したことがないような環境で野球ができた」。高知の投手コーチだった吉田豊彦氏(58)=現プロ野球・楽天、泉犬鷲(いぬわし)寮副寮長=はそう振り返る。

 吉田氏が藤川と話をするのは…

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